山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

サッカー命の日々②大阪・靱(うつぼ)グランドでの奇縁

日岡田ジャパンは無事タイを降した。3-0での快勝を収めた。オシムからバトンを引き継いでから、やっと第3次予選突破のメドがついた。まずは、一安心か。
ところで、件の大久保はションボリスタンドで観戦の姿が見受けられた。国見高校の大久保と平山といえば、これが同じ名将・小嶺監督の教え子かというくらい、スタイルが違って見受けられる。僕はどちらかというと大久保派だ。というのも、昭和40年(1965年)大阪は靱公園グランドでの関西学生サッカーリーグ2部での第4戦。相手は大阪商科大学通称大商大。前々年学生リーグ初参戦でいきなり4部優勝し、入れ替え戦で3部昇格を果たし、前年も3部で優勝、2部昇格。そして今年のリーグ戦でも無敗で、このままゆけば、2部優勝1部昇格間違いなしの勢い。そのチームに名将・小嶺監督が1回生で出場されていた。もっとも、この事実を知ったのは、かなり後年。小嶺監督の指導が評判となってからのこと。その時の、大商大の連中ときたらまるで牛か熊なみの、恐ろしいガタイ揃い。それも高校サッカーで鳴らした猛者集団で、あたりに威を払う雰囲気だ。一方こちらといえば、3戦して1分け2敗のオンボロチームだ。大商大からすれば、勝負は端からわかっている、怪我のないようにしなくらいのものだ。しかし、同じ大学生である以上、意地だけは見せないと男の一分が立たないのはもちろんのこと。観戦にかけつけて下さっている、渡辺副部長先生にも、田中ラッチェル教授にも申し訳がない。・・かくして運命の笛が吹かれた。前半が始まると、自然と我方は、引き気味の体制となる。そのころ、自分流に考え出した、1・3・2・2・3のフォーメイションを維持しながら、GOAL前を部厚く守る格好だ。GOAL前に壁をつくって抵抗するしか手立ては見つからない。しかし良くしたもので、徹底的に相手をマークし、執拗に追いかけることだけは、日頃の猛練習のたまものか、各人がその役割を果たす。となれば案外と点は入らない。最初は、もう直ぐGOALと見ていた数少ない観衆からも、雨霰のシュートを断固跳ね返す神商大魂に感嘆の声すらあがりだした。後半、少ないチャンスを逃さず、相手GOALを目指して奮闘していたF細見が、相手とのクロスプレーで頭を強打昏倒して、救急車で搬送される事態発生。それでも、耐えに耐えた後半40分、焦りの出た相手の嵩にかかった攻撃が一本調子であったことが幸いして、もしかしたら、引き分けかもとの甘い考えがチラと脳裏をかすめたその時。コーナーキックを取られて、GOAL前を固めるその背後から、菊池(2年生)が、飛来した球を捕捉して、OKの声を発した。やれ彼にクリアーをまかせたとばかりに首をすくめた瞬間、無情にも球は菊池のヘッドを掠って、痛恨のオウンGOALとなってしまった。嘘やろ、恨むでしかしの心境。でも彼もそうしたくてやったわけではない。それを責めるのはご法度とされています。緊張の糸が切れるとはこのことか。そのあと、もう1点入れられて0-2でのあえて惜敗と言おう。グランドには、突き倒され、蹴り倒されてまさにヨレヨレが倒れこんでしまった姿があちらこちら。
その際、えげつなくサイドを抉って、何度も何度も突っ込んできたFWの一人のプレー振りが、今の大久保嘉人そっくり。きっとあの時のあいつが若かりし小嶺監督であったに違いない。