山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

サッカー命の日々⑨サッカーシューズよさようなら

534ccde0.JPG昭和40年(1965年)秋季リーグ第4戦の模様は、「サッカー命の日々②大阪・靭グランドの奇縁」に詳しくように、後半40分まで、鍛えに鍛えた執拗な守りの成果であったか、0-0で推移した。2部で全勝して、1部昇格を自明のごとく目標とし、事実目前にしている大商大の心胆を一時、凍りつかせるに十分な状況。一瞬このまま引き分けに持ち込めたらとの考えが頭を過ぎったそのとき、堪えに堪えた緊張の糸がきれたとはこのことか。痛恨のオウンゴールを与え、直後に止めの1点を献上して試合は終了した。そのうえ、重戦車・羆軍団に蹂躙された部員たちはもうヨレヨレ、ボロボロの状態。これで3敗1分けとなって、最終戦大阪府立大と迎えなくてはならない。相手の大阪府立大も2部と3部を行ったり来たりしていて、戦績は4敗で我々2弱の間柄ながら、実力は侮れない。そんな時、見かねてか前述の好漢・松本靖弘先輩がグランドに現れた。たぶん、彼と同級生ながら、もう一年商大暮らしをしていた石川家同宿の楠瀬さんが、連絡してくれてのことだったに違いない。いまさら、練習といつても、十分しんどいことはやってきた。なにくその闘志も十分。となれば、攻撃のフォーメーションの確認が今必要であるとの松本先輩の慧眼から、意外やバレーボールを使っての攻撃反復練習となった。これが実に効果があって、サッカーボールではやろうとおもっても出来ない球捌きとパスが、軽くて小さいバレーボールなら、意外と易々出来る。これならということで、得意な攻撃パターンの組み立ての練習・確認にのみ時間を取って、大商大戦で痛んでいる体のケアーに努める事に。
リーグ最終戦は京阪香里園にある同志社大香里グランドに場所を移しての対戦となった。部員一同泣いても笑ってもこの一戦が部の運命を左右することになる。入れ替え戦・2部落ちとならないためには、この試合に勝つか引き分けるしかない。そんな悲愴な思いの私の気持ちを知ってか知らずか、3回生以下は意外とリラックス。さすがに4回長本だけは、同じ気持ちらしく、顔面に緊張が漲っている。・・・
KICKOFFの笛がなり、試合が動き出すと同時に、意外と我がチームに手ごたえと勢いを感じるではないか。両ウイングの本坊も厚朴(ほうのき)もよくサイドを駆け上がっている。この二人は我が秘密兵器・大砲とも頼む存在ながら、これまでまだその実力を出しえていない。INNER細見・吉田が中盤を制している。CF濱口も出足鋭く突っ込んでゆく。と思い出しながら、後のことはよく覚えていない。ただ、順序は定かでないが、糞が出るほどしごいた濱口が、GOAL左隅におしっこをちびるような一点。直近に親父さんを亡くしていた吉田が思いを込めた一点。そして、私が、生涯記憶に残る2GOALの一つとなる一点を挙げて3-0での快勝となった。終了の笛を聴いてやっと皆に笑顔が出た。それぞれが「終わった、終わった」と口走って早々にグランドを後にする。格別の嬉しさが湧いてくるのでもなく、我が口をついたのは「もうサッカーなんかやらねーぞ」との雄たけび一声。と同時に履いていたシューズをグランドの片隅めがけて投げ捨てていたのを覚えています。