山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

サッカー命の日々⑬グランド外での恩

勿論、先輩連にはひたすらグランドで可愛がって貰うばかりではありません。4回生時の監督学部8回生・芝田薫先輩は当時芦屋市役所福祉事業部に属しておられ、度々グランドに現れてご指導頂いた。氏は確か入学は学部6回のはずで、2部落ちが悔しくて、2年も居残って1部復帰を目指したという逸話の持ち主であります。名ストライカーの片鱗を思わす華麗な球捌き。細い身体に似合わぬスタミナを示されてびっくりした思い出。熱することなく淡々と見守って頂いた。その監督が秋季リーグ最終戦で辛うじて勝利し、2部落ちを免れた直後、4回生皆を呼び出され、芦屋市役所近くの料理屋で慰労会を開いてくださった。期待を持てる実力でない戦力で何とか2部に踏みとどまったことを評価して、タダタダご苦労さんと声を懸けてくださった。ああもっと力を付けて置けば、もう少しましなご恩返しが出来たのではと悔いたところで後の祭り。その後健康を害されたとか、如何しておられる事だろうか。・・・
終身ヘッドコーチ・学部1回生・殿村和祥氏には、それこそ一方ならぬお世話を頂いた。氏はそのころ、大阪ガス本社の研修課長というバリバリのエリート。なおかつ大阪ガスサッカー部の監督でもありました。尼崎の大ガスグランドでの大阪ガスとの練習試合の厳しさは半端じゃなかった。なにしろ、試合後の死のランニングを逃れるためには、そこそこの点差で勝たないと、UPのお許しが出ない。おまけに我らがGOAL裏に陣取って、相手シュートを思わず避けたりしようものなら、後でどうなることやら、顔面直撃も厭わず、身体ごとボール目掛けて突進するしか道は無い。・・そんな殿さんから、一度会社へ来いとの呼び出しを頂いた。退社頃を見計らって梅田の屋上ビアガーデンに連れていかれた。『大阪ガスを受けて見ないか』とのお誘いでありました。勿論入社即サッカー部入部であります。しかし、このお誘いは嬉しかったね。試験は重役面接のみだが、5人ほど集まった面子が東大・京大生ばかりで体育会系は私だけ。幹部候補生の選抜テストであったようで、結果はOUT。せっかく声を懸けていただいて不甲斐ない結果となってしまった。どこまでも期待に背き続けたほろ苦い思い出となっております。・・後年になって、殿村先輩曰く『あの時、ガスに来なくて、結果よかったんじゃないか。』といっていただいた時、なるほどガスへお世話になっておれば、きっと又違ったお世話をかけたに違いないと、その結果オーライに1人頷くことでした。