第144回さんようクラッシック・レコード・コンサート
昭和36年11月19日
明石デパート4階中集会室 PM6:30-8:30
自分の能力の限界を痛切に思い知らされた時
『平々凡々たる無能な自分には
努力しようとあせればあせるほど
自分の新境地を開こうと
自分の心を分析して行けば行くほど・・・
・・一時的に心が明るくなることはあっても
その実は虚無である。自分を愛しむ余り
徹底して自分を誤魔化し切れないでいる・・
その結果は重々しい鎖となって、
「敗北感」「無力感」という杭に心を縛り付けることになる』
そんな時、我知らず流す涙、この涙は何を言っているのだろう。
「涙は悲しみのものいわぬ言葉」と片付けて良いのだろうか。
「諦めの涙」と考えて自分まで諦め突き放して良いものだろうか。
これも若人が持つ疑問の一つ
*この文はどうやら私が書いたものでしょう。それにしても随分と浪人が堪えております。関学の商学部合格していたんだから、行けばいいのに、変に神戸商大に拘って、一年浪人する道を選んだのはいいが、この時期ほとんど勉強には手が付かず、毎晩徹夜で、日本文学全集を読み続けておりました。完全な現実逃避の典型的症状であります。
浪人を決めて受けた予備校・天下の大道学園の試験に落ちた。関学より予備校のほうは難しいんだ。慌てて、忘れもしません、兵庫日産自動車・中巻社長に親父が頼み込んで、大道英昌園長にお願いしてもらって、再受験してやっとのこと入れて貰ったのに。夏休みに入る前には、今で言う登校拒否状態。家では勉強が出来ないなど、難癖を付けて、上の丸の一軒家を一月ほど借ってもらつたり、散々無理ばかり言ったあげくが、まさにこの文の如き有様と成り果てた。
たかが、大学入試に失敗したぐらいで、身も世もあらぬ苦しみ様。とりあえず、一年せっせと勉学に励みさえすれば結果は付いてくる。そんなことも分からず、悩み苦しむポーズだけは一人前。今おもってもやたら恥ずかしいかぎりです。・・そんな時も、さんようレコードコンサートの手伝いは欠かさず続けておりましたとさ。