案内状小文復刻④
*一葉抜かしておりました。第141回 昭和36年10月1日の案内状をSCANー縮小アップ・ロードしました。
昭和36年といえば、戦後はや満15年を経て、社会は落ち着きを取り戻し、夫々の家庭においても、昭和の良き
時代の気風を取り戻し、大学を目指す連中も親の期待を一身に背負い、将来を賭けての熾烈な戦いを当然のこととしておりました。事実大学進学率は10%の世界でした。私のように、絶望感とかなんとか言ってる暇は無いのが本当のところです。そんななか2年もの浪人を耐えてくれた両親に今更ながら感謝しています。
《18才の暗黒感》
目を閉じる
暗闇 それも何かしら物の幻影が白い光となってぼんやり浮かび上がって見える暗闇。
決して真の暗闇ではない。(それは)生きている者が見る暗闇。いや持っている暗闇だ。
絶望の中にあっても何かに望みを見出したいという。
私はまだ死者の暗闇の何たるかを知らない。永遠に知りたくない。
そして明日にも知るはめになるかも知れない自分が恐ろしい。
しかし、死者の持つ暗闇が死者に感じることの(できる)暗闇であるとしたら。
あるという事が今のうちにわかったら。太陽の光は暗闇を暗闇でなくしてしまうだろう。
(こんな風に深刻がるのも秋の夜長に聞く虫の声が私の心の琴線に共鳴しているから。)
*相当落ち込んでいます。っこんな文を読んで親父はどう思っていたのかな。2浪目の7月さんよう喫茶の姉妹店として喫茶リオ・ブラジルをオープンしたのだが、これは多分に、私の逃げ場を用意してくれたものではなかったかな。オープンした店に懸かりっきりで働いていた私を見兼ねて、田口建材の田口社長様から、懇々と説教されたのも、今は懐かしい。