山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

案内文小文復刻⑥

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                第205回プログラム クラッシック・ステレオ・コンサート
                昭和36年3月16日(金) 場所 さんよう喫茶     

             旅先で、想いも懸けず知り合った人、好意を寄せあった人に、
         お互い、何も残さない積りが、”いざ”となると、フツと涙の溢れてくるような
             淋しい気持ちを感じ、あの惜別の情のもたらす感傷に浸る時
                 人の心情は限りなく、純になるものと思います
             ・・それは本当の意味での善意の源となるものかも知れません・・
         そんな場合、人は努めて美しい思い出を無意識の裡に創ろうといたします 
           それでなくても、別れるまでの瞬時が、瞬時であるが故に、貴く、美しく
                  それ自体がもう思い出となっているのです
      そして一時、人は思い出が生む感動の強さのために、忘却という事実を忘れるでしょう
            お互いに決して思い出を色褪せさせはしないという確信、そして誓いを
                    大きな慰めとして別離してゆくのです。   
     けれども、その瞬間から人は、その思い出に渦巻く感情から、また別の感情の大海へと
           乗り出してしまい、もう再び帰ってくることは出来ないのではないでしょうか

*ほんとよくもわがままを許してくれたことです。不思議と悲壮感もなく、ピーカン(両切りたばこ・ピースの缶入り・これが誠に旨い)片手に大阪から急行・生駒に乗って東京へ記念受験に出かけた。慶応・経商、早稲田・政経商と一巡して、新橋の第一ホテルを宿にしていたが、懐が淋しくなって木賃宿に場所を変えたとき、仲居のおばさんに親切にして貰った。別に何があったわけではない。 けれどかなりおセンチになっていたんだ。忘れもしません、東京から3月3日ー4日の商大受験のため、3日の早朝、舞子駅に降り立つと、両親が車で出迎えてくれて、熱いコーヒーにサンドイッチを用意してくれていた。あの味は忘れられない。ほんと美味しかった。
たしか、舞子公園のお粗末なポッちゃん便所で用を足して、商大に向かったんだっけ。後日、息子たちに省線の車窓から、舞子付近を通過する度に、「あそこで運をつけたにかわらん」と言い続けて顰蹙をかっておりました。
その際の入試は、国語は文学全集を読みあさった効果なのか、三好達治が出たせいか。また数学は大道で解いた問題がでておりました。英語もかなり出来ちゃった。かなりの手ごたえが有りました。それが証拠に、母親にだけは、「今度は通ってるかしれへんで」と囁いたことでした。
親父が知り合いのT教授に入試合否をいち早く教えて貰うべくお願いしていたらしく、後になって聞くところによると、T教授に2年目には、初回より成績が落ちている、息子さんに諦めるように言って下さいと言われたとか。
そうは言ったものの、ありがたいことに、今回も気に懸けて下さっていたらしく、発表の前日には合格のTELを下さった。しかし神戸新聞の発表記事で確かめるまでは気が落ち着かなかった。
そんな泣き笑いのうち自ら招いた受験地獄から、やっと這い出ることができました。