山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

案内文小文復刻⑧

60f379a8.JPG                                                                                                   第214回クラッシックステレオコンサート
              昭和37年12月16日(金) PM6:30
              場所 明石デパート 4階 中集会室 

    人は皆、ナルシスの権化なのだ その頂上がキリストさまだ
    子供が暗闇を恐れて 「神ちゃま」と心の中で祈るのにくらべれば
    俺たちが信じているイエスは、各々自身の顔をしたイエスさまなのだ
    クリスマスは 楽しむばかりのものではない
    自分を 少しは 心貧しいものに思って 静かに省みる時なのだ

    第九「合唱」を聴き 憂いを想う人よ 集え 
                                (1962.12.9)

*この頃になると、かなり落ち着いてきております。サッカーのシーズンも終わり、明石高校OB吹奏楽団も北海道・室蘭の富士鉄体育館で行われた、第10回全日本吹奏楽コンクール一般の部で優勝を飾っている。小林主将の温情で、シーズン中に関わらず、一試合を抜けての全国コンクール出場を許された。このとき一般の部とはいいながら、現役混成が許されていて、弟啓三が明石高校2年でいたことから兄弟出演となりました。もちろん弘子ちゃんは3年で一緒に、大阪発・夜行列車日本海でガタゴト揺られてまいりました。青函連絡船の大きさに歓声をあげたりして。
忘れられない思いでの一つに、無事優勝を飾り、その夜は登別温泉に一泊となりました。ささやかな祝勝会を終えて、各人入浴タイムというわけで、それもおそがけに、私と、山下健三郎、松尾泰三の3人で入浴にでかけた。するとどうも、お風呂は入口は違えど混浴らしいと泰三が言い出した。もちろん我々は歓迎なんだけど、女性軍にそのことを気づかせては面白くないとか、勢いだけで言い募り、泰三が脱衣所にある私と健三郎の下着類を隠して出ていってしまった。半分は好奇心、半分は成り行きでお風呂の一番奥まった湯船に身を浸していると、ワイワイとOG・現役の女性達の声が聞こえてきた。
と思う間もなく、ドヤドヤと浴場に入ってくる足音が聞こえた。ご存じのように登別といえば大きなお風呂が有名で、その当時もかなり大きなおふろでしたが、そうなってさすがにこれはマズイと気が附いたが、いまさら出るに出られず、浴槽にドップリ体を沈めているしかありゃしない。そのうち、2年上の福島弘子嬢が、桶を探しにわれわれのいる湯船の付近まで来たから堪らない。それも彼女は近視で、お風呂に入るべくメガネは架けていない状態で、思いっきり近くに来るまで、気が付かなかったらしい。
浴場に響き渡る悲鳴とともに、女性群は飛び出しっていった。われわれも急いで浴衣をさがすのに、泰三が隠した場所が分からない。そのうえ全身ゆでだこだ。・・津野たちならやりかねないという顔、おれもやりたかったという顔など、とくに女性軍からはなんてことをするのとの声もあったが、一番怒られるだろうと思っていたチューさん(有永先生)からは、なんの御咎めもなっかった。きっと臥薪嘗胆ボーイを大目にみてくれたというわけにちがいない。