山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

北京オリンピック(奥林匹克)・皇帝の憂鬱

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今日はとりあえず北京オリンピックを語らねば。7日、北京オリンピック開会の前日、日本サッカーは米国とリーグ戦初戦を戦い0-1で敗退した。たしか前宣伝では、40年ぶりのメダルも夢でないとか。早速の敗戦ショックにどのメディアもうろたえをかくせない。しかし、いったいいつのころから、日本のスポーツジャーナルはその牙を抜かれたのか。冷静な評論を置き忘れ、まるで闇雲な応援団と化してしまった。これはサッカーだけではなく、あらゆる分野に共通していること。私はサッカーしか知らないから、とりあえずサッカーを論じることしか出来ないが。
オリンピックに限って言うと、日本サッカーが最初にオリンピックに参加したのは、第11回ベルリン大会のことである。くしくもこのベルリン大会は、独裁者ヒットラー国家総動員の魁となる見事な国家宣伝の下、開催されたことで知られている。当時としては三国同盟の仲間意識も働いての参加だったか。我がイレブンはそんな政治的思惑とは全く無縁で、アジアから日本と中華民国の2国のみの初参加ということのプレッシャーのほうが大きかったことでしょう。その初戦、欧米諸国から見れば、アジアの片隅からやってきた、見るからにみすぼらしいチイ―ムは、間違いなく強豪国の一角とみなされていたスエ―デンに粉砕されるとの当然の予想があり、そう信じられてもいた。ところが、日本は敢闘精神を発揮したのか、スエ―デンを3-2で下してしまった。詳しく調べると、試合に際して、日本は技術・体力・経験とあらゆる面での不利な条件を覆すべく、したたかなゲームプランを立てていたのだが。まるで桶狭間の合戦の如く。・・これを歴史的金字塔「ベルリンの奇跡」の一言で片付けていいものか。
そのふてぶてしさ、逞しさが、今の日本サッカーには見られない。その欠如を言い募る評論も見当たらない。たぶん10日のナイジェリア戦は0-3で負け、予選リーグ敗退が決まることだろう。もちろん私の予想が外れることを願うところだが。
ちなみに、ベルリン大会のあと、第12回大会は東京での開催が決まっていた。その大会の日本選抜候補に神戸高等商業から4人も選ばれていた話は2008年総会で酒井先輩のスピーチで初めて聞かされたことは、このブログの「サッカー命の日々」の項で書いています。不幸にも、日本は大会準備がどうしても間に合わず、途中大会返上というはめに陥っている。急きょ決まったヘルシンキ大会も、第二次世界大戦勃発にともない中止となってしまいました。

今、開会式を見ています。会場・鳥の巣に繰り広げられる張芸謀監督の演出は、噂にたがわず仰天奇抜で伝統美で飾られ、あらゆる技術を駆使して、なおかつふんだんに人間力を投入したものであります。ときたま、大写しになる演者は、中国のどの街角でも見かける、素朴な表情をしている。自分が全体のどの位置にあるのかなど、考えもしないで、ひたすら命じられた通りに役割をはたすべく顔を引きつらせて頑張っている。・・この開会式は現場でみるよりも、TVを通して見るほうが正解であるように作られている。会場の10万の人間よりも、貧困にあえぐ自国16億の民に一時の夢を見させるために。
開会式が華やかに盛り上がれば、盛り上がるほど、宴のあとの危うさに、ローマ皇帝が感じたと同じ憂鬱を胡錦涛皇帝は感じておられるのではないのかな。