山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

グレンミラー物語①

img334-1.JPG3782992c.JPG
「グレンミラー物語」はもう何度見たことか。しかも一編の映画が観る人のその後の人生を左右したと言っていいほどの影響を与え得る事を証明するケースでもありました。時期は日本封切の昭和28年(1953年)のことと思う。というのも神戸大学教育学部附属明石小学校からエスカレーター式に附属中学に進学したのが、昭和29年のこと。その際、クラブ活動が義務付けられていて、体育・文化に限らずどこかに所属せねばならないとなった時、アッサン(浅田敬三郎)が何を思ったか「ブラバンに入ろうぜ」と声をかけてくれた。二人で古い木造校舎の2階にあった音楽室の隣部屋にあるブラスバンド部部室に出かけた。そのころ明石市内の中学は殆どが器楽合奏ばかりで、なぜか附中だけがブラスバンドでありました。 顧問はクラス担任でもある神谷好先生。その後三年間お世話になるわけだけど、先生が怒った顔を見たことがない、穏やかな語り口の先生でした。その先生が応対して下さり、楽器のことについて説明して下さった。といっても、手持ちの楽器で、余っているのはこれこれ程度の説明だったように覚えています。かなり錆びがでて、ところどころヘッ込んで、見るからに鳴らなさそうな楽器ばかり。どうしようかなと考えているうちに、ひとつの楽器が目に留まった。たしか、最近観た映画で、こんな楽器をジェームススチュワートが吹いていた。それまでの映画三昧で、俳優の知識は玄人はだしであります。いま思えば、小バス・クラリネット・トランペット・トロンボーンぐらいしか並んでいなかったはず。その中でも、よりによって誠に地味なトロンボーンを選ぶなんて、グレンミラー物語を観ていなければ、きっとトランペットを選んでいたに違いない。そのうえスチュワートがミラーの真似をしたものか、首をかなり左に傾げて吹いていたことまで覚えていて、中学三年間は首を傾げたままで通すこととなりました。あれは明石高校音楽部に入部して早々、有永先生に「そこのボーン、えらく首が曲がっているぞ、まっすぐにして吹きなさい」とイエローカードを頂いちゃった。