山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

案内状小文復刻⑨

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               第216回さんようクラッシックステレオコンサート
               昭和38年2月17日(日)明石デパート4階中集会所

         雪の結晶、清純、純白、EINZAMのみっちゃん、積るかな、息の白さ、
         身体のぬくみ、冬、冷やかなまなざし、凍った心、やさしさ・・・忘れた?
         憎悪、悶、苦・・・死、惜別、最後の一言、”ありがとう”(1963.3.8)

*この年、2月3日に同居していた母方の祖父・源市が死去。75歳だった。明石・西新町で源床なる理容店というより、散髪屋を営んでいた祖父であります。祖母おしげと二人での散髪屋は、源ちゃんの髭剃りが評判で、源ちゃんがあたると3日は髭がのびてこないとか。まさかとおもうが、丁寧に逆剃りをいれていく仕事ぶりから、そう云われたものか。母が床屋の後を継がず西新町スキャンダルなる経緯があって、戦後は知り合いの床屋での賃仕事で暮らしていたが、胸を病んで、数年市民病院のお世話になっていたところ、急に病状悪化しての最後となりました。私にとって、肉親との最初の分かれ。ひごろ口数の少ない爺さんだったが、お酒とバッテラが好きで、よく駅前の銀たんぽで買ってきては、ふるまってくれたものでした。その爺さんと突然おとずれたお別れが余程応えたものか、あるいはもっといろいろ話を聞いておくべきだったとの思いか。もともとは、本質はこのようにセンチメンタルジャーニーなもんで、今日も仕事上で少々ごたついたりすると、弱気の虫があたまをもたげる。しかしそこは、尽力してくれた方々の志を無にするわけにいかず、勇を鼓して正々突破を試みるのみ。
明日は長男倫伸(トモノブ)が一晩だけ帰ってくることだし。