第217回 時 昭和38年3月15日(金)PM6:30
所 さんよう喫茶
波間に揺らめく極楽丸の燈明 儚いものです
潮に乗って 唯唯 あてどもない船出
風の悪戯で船首が岸へ向くのを見てさえ
佛が別れを告げていると涙ぐむのも人情
三月の海の底のある冷たさに戸惑って
『厳しさは静かなものです。』と呟いた。
諦念は素直な心を生むのです。
(1963.3.8)
*祖父源市の満中陰を迎えて、松江の海岸に深夜、極楽丸を流しに出掛けた。船の中央に設えた灯篭に火を灯し、極楽へ行くんだよと声をかけながら、舳先を沖に向けて押し出す。三月の底冷えするなか、波に揺られて
なかなか沖へ向かおうとしない。横浪を受けて舳先が岸を向く。名残を惜しんでいるんだとの声が囁かれる。
それでも次第に引き潮に乗ったのか遠ざかる。肉親の死を初めて経験する身には、ただ押し黙って波間に揺らめく灯を見つめることしか出来なかった。惜別の意味を身にしみて感じる。白い息も、波の寄せる音も、砂を踏みしめる音さえも、すべてが静寂をむしろ際立たせる。一瞬風が強まったかと感じた瞬間、極楽丸の灯篭の火がかき消された。だれかがさあ帰ろうと声を上げる。それぞれが海に向かって手を合わせて、想いを振り切るように踵を返した。