山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

案内状小文復刻⑪

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                                                       第218 回ステレオクラッシックコンサート                                                                                      昭和38年4月19日(金)PM6:30
                          場所  さんよう喫茶

                            雪柳こそ花の花 
 
                        忘れ去った筈の於面影を  
                             我知らず 
                 よく似たる人の面に求めている自分に気づいた時・・・
                          桜は眩しい限りです 
                   其のホロ苦い味・・・闇に頷く黄水仙の微笑 (1963.4.14)

*このハガキは弘子ちゃんが大事に?持っていたもので、消印が昭和38年4月17日。1月にプラターズに誘ってからかなり時間が経っています。その上コンサートまでギリギリの投函となっているところを見ると、ただ切っ掛けがほしいばかりに案内状をだした訳だ。おまけにハガキ表の下に「おひまがありましたら、おいで下さい」との走り書き、さらに「4月15日のロンドンシンフォニーオーケストラのお話でも致しましょう」とぬけぬけと書いております。確かにピエールモントー指揮のロンドン交響楽団を大阪・フェスチバルホールで聴いたおぼえがあります。ブラームス交響曲一番だった。けれどさて語りましょうと言えるほどの蘊蓄があったかどうか。まあキザな時代でありました。大学一年は、サッカー部に入ってまず身体作りに追われていた。このころ、2年進級まもなくで、どうやら少し余裕がでてきたせいか、彼女が欲しいという気持ちがかなり昂ぶってきたんだ。一方弘子ちゃんは、川崎製鉄本社に勤めだした頃で、まだデートに応じる余裕はなかったろうに。さて、この時弘子ちゃんはコンサートに来たんだっけ。