山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

高3・現役関西大会3位

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OB一般の部に出場しながら、現役高校生の部にも出場し、4位・3位と順位をあげていた。OBも設立3年目を迎え、メンバーもそこそこ揃うようになってきた。そこで我々3年生時は、高校生の部に的を絞って出場することとなった。当時関西大会高校の部は天理高校天王寺高校・東商業と競合がひしめき、とくに天理高校はカリスマ矢野先生のもと、他の追随を許さぬ抜きんでた存在でありました。楽器一つを比べても、打楽器の種類の多いこと。とても国産品では揃わない。チューブや銅鑼を駆使したカールフランカイザー作曲のシリーズを得意としていた。今考えてみると、逆立ちしてもかなわないことが分かるのだが、若かったんだね。3年生一同は好漢三好部長を中心に本気でチャレンジする気でいた。
まさに昭和35年。世間は皇太子ご成婚一色に染められて、コンクールの自由曲も『祝典行進曲」。ブラスには吹きにくいC調の曲であります。そして自由曲は、有永先生が前年のOB優勝曲グランドマーチ「ツエッぺリン伯号」に味をしめたのか、やはりグランドマーチ「ARMY OF THE NILE」と決まった。実はこの時点でレベルの一番高い高校の部の自由曲として考えがたらなっかたように思う。
いくら最高の演奏をしても、豪華絢爛な曲をぶつけてくる天理・天王寺に勝てるわけがなかった。マーチはマーチ。曲の難易度ですでに差がついていたのだつた。
最高の団結、最高の練習、最高の演奏ができた。しかし結果は3位だった。思えばマーチでよくぞ3位を取れたもんだと今なら褒めてやれる。けど、何か取りつかれたように1・2位を考えていた我々は悔し涙しかなかった。
3年目にして味わう敗北感であります。・・気を取り直して大学受験に向かうまで少々時間がかかった。