山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

明石高校音楽部・OB吹奏楽団

なんと第12回全日本吹奏楽コンクール一般の部優勝の映像

1964年11月8日神戸商大サッカー学部2年の、まさにシーズン真っ盛り。 関西学生リーグ3部から、2部へと昇格チャレンジのイケイケ状態の中、なんと全日本吹奏楽コンクール高松大会に1stトロンボーンで出場。室蘭に次ぐ、2年連続優勝を果たした。 …

2023.08.08 昭和34年第41回高校野球大会開会式・ファンファーレ発見す。60年ぶり

今日開幕の高校野球開会式を見ているうちに、自然と何時もの検索に向かう。 皇太子殿下ご臨席(上皇様)の第41回高校野球大会で、開会式ファンファーレを吹いた思い出が有り、幾度となく画像・音源の検索を試みて10年。 PCでFACEBOOKを始めてから、毎年…

第50回明石吹奏楽の夕べ・明石高校音楽部復活の兆し

今日は一日中吹奏楽漬けで過ごした(延々6時間)。明石吹奏楽の夕べ第50回記念大会だ。 明石市と明石吹奏楽連盟の主催になるこのコンサートは、本当に市民の夕涼みがてらに音楽を楽しんで欲しいと言う企画で、昭和36年8月29日明石公園バレーボール…

第3回なにわジャズ大賞・薮内良治(TP)祝賀パーティ

カテゴリーを明石高校OB吹奏楽団にするか、JAZZ ME BLUESとするか悩ましい。 明石グリーンホテルで開催された上記なにわJAZZ大賞受賞パーテイーは120名もの参加を得て、この業界?では珍しい賑々しい盛会となりました。 高校で言えば私から23年後輩のJ…

OB吹奏楽団1年間お休み・サッカー命の日々始まる

昭和39年の秋、OB吹奏楽団は高松大会で3年連続優勝をとげる。一方サッカーは関西学生リーグ2部で一挙に優勝を狙うものの果たせず、4か5位におわったのではなかったか。その頃の関西学生リーグは1・2・3・4部ABとあり、各部は6校編成で、2部の4…

昭和39年・第12回全日本吹奏楽コンクール優勝

何とか関門の虎口を脱して辿りついた3年生。経営学科・栗田ゼミ。ドイツ語の後遺症で独語2年は履修してなんとか3年生のうちに取得しておかないとまた大変なことになる。とりあえずは出席だけはするようになりました。鈴木先生も心得たもので、またまた竹…

プレーヤー群像

(トロンボーン左端 弘子ちゃんは前列右から3人目 指揮 青山正) 名古屋・室蘭・岐阜と優勝を重ねるためには、優れた指導者の元、これでもかという程の練習を行わなければ出来るもんではありません。また40余名が一団となってのチームワークも欠かせませ…

昭和38年・第11回全日本吹奏楽コンクール優勝

(出番を待つ弘子ちゃん) この年、明石高校OB吹奏楽団としては、OBメンバーだけでの編成でコンクールに臨んだ。私の方は会場が岐阜ということで、辛うじてリーグ戦とのバッティングを回避できての参加となった。そのころのサッカー部の状況は、昭和29…

昭和37年・第10回全日本吹奏楽コンクール優勝

神戸商大1年生のサッカー部員がリーグ戦の最中に、戦列を抜け出すという、いま考えるとトンデモナイことが出来たのは、一重に小林主将の理解と、私がいなくともそう戦力に影響ないためでした。北海道は室蘭までといえば、往復だけでも丸3日。コンクール当…

ラッパとサッカー①

2008.8.7の項で高校の担任・住田先生と音楽部顧問・有永先生に遅まきながらの合格報告にいった際弘子ちゃんとの、トリッキーな出会いがあったことは記述しています。まあこれがきっかけで以後47年に及ぶお付き合いが始まろうなんて。いまにして、…

2年遅れの大学デビユー

1月15日を期して受験勉強再開。ただちに明石高校3年時担任の住田圭司先生にどっさり内申書を書いていただかねば。特にこの年は、記念受験を兼ねて慶応経・商、早稲田政経・商も受けるつもりで、地元の関西学院経・商(なんのこっちゃ)をいれると10通…

浪人の身で出場・第9回全日本吹奏楽コンクール東京大会

トロンボーンという楽器はある意味便利な楽器で、男性のテナーと同じ音域であることから、かなり間が開いても、一週間程度の練習で、唇の感覚は戻ってくる。浪人1.5年の憂さも垢も狂ったことも忘れてトロンボーンにかじりついた。前年不参加だっただけに…

音楽生活1年6ヶ月の空白

関学・商学部にいけば良いものを、なぜか頑張って、親父の再三、入学金を入れようかとの念押しも振り切り、一浪して、再度商大受験をすることとなった。そうなれば、早速予備校に通わねばということで、そのころ灘高・神戸・兵庫・長田高の浪人生が殺到し、…

浪人時代突入

明石高校の3年間、伝統ある音楽部の黄金時代の始まりに遭遇するという幸運にめぐまれた時代を享受した。 それまで練習に明け暮れていた生活が一変、受験勉強を本格的に否応なく始める。と同時に長年ラッパを吹き続ける生活から、まったく吹かない生活に転換…

高3・現役関西大会3位

OB一般の部に出場しながら、現役高校生の部にも出場し、4位・3位と順位をあげていた。OBも設立3年目を迎え、メンバーもそこそこ揃うようになってきた。そこで我々3年生時は、高校生の部に的を絞って出場することとなった。当時関西大会高校の部は天理…

初優勝・凱旋パレード・テレビ出演

世の中、1位と2位でこんなに扱い・注目度が違うのか。そのことをつくづく実感させられたのが、高校2年時、全日本吹奏楽コンクール名古屋大会(昭和33年・1958年11月30日)での優勝であります。このときの有永先生は、自由曲にドイツ・グランドマーチ「ツエ…

全国2位・ギャルドとデイナー

一年になった秋にははや全日本吹奏楽コンクール東京大会・両国体育館に連れて行ってもらうことになりました。まさにその時、そこに居合わせただけでの好運であります。流行りのトレンチコートを張り込んでもらって勇躍東京へと向かう。さて何でいったやら、…

時代の子・両国国技館 全国2位

先日より神戸商大サッカー部のOB対談を開始。といっても学部1回殿村氏とお話をしただけだが、その際頂いた資料の整理だけでも大変なことになっております。というのも、ただ単なる記録として整理すれば簡単な話ながら、いちいちその資料を吟味賞味して尽きる…

夏が来ると思い出す・銀傘に響くファンファーレ

今日、全国高校野球選手権大会第90回記念大会開幕。新装なった甲子園での華やかな入場式が繰り広げられている。真黒に日焼けした選手の表情はいつの時代も屈託なく、瑞々しい。 昭和32年明石高校に入学と同時に、音楽部にも入部した。数少ない経験者と…

呉信一TBと伊川谷北を聴いた②TBてつくづく難しい

いよいよ、呉教授のステージであります。颯爽とTBを片手に前よりかなりふっくらとした姿が、舞台上手より現れた。その歩く姿が親父の呉幸五郎氏にソックリ生き写し。体型からしてオヤジ譲りは分っていたけれど、浪人2年目の秋、どうしようもなく日々を過ご…

呉信一TBと伊川谷北を聴いた①

私にとってのふたりとの因縁話もさることながら、演奏会では両人が明石高校音楽部の1年違いであったことは披露されなかった。演奏後のふたりが交わした熱い?抱擁の意味は、高校以来音楽畑で互いに研鑽を重ねてきた想いも込められたものだったろう。それと…

松井隆司指揮・伊川谷北高校吹奏楽部第16回定期演奏会を聴いた③

昭和43年卒業と同時に新設の明石北高校に音楽教諭として赴任した。じつはこの当時から、松ちゃんを明石高校の音楽教諭に迎えようという動きがOB連の中にあり、この動きはその後、松ちゃんの転校時常について回ることになります。実際、県教育委員会のしかる…

松井隆司指揮・伊川谷北高校吹奏楽部第16回定期演奏会を聴いた②

一方、松ちゃんこと松井隆司先生との御縁はこれまた語り尽くせないほど思い浮かぶ。 最初に松ちゃんに出会ったのは、彼が神戸大学教育学部附属明石中学2年の時かな。私たちは3兄妹で4歳下の弟・啓三と8歳下の郁子。不思議なことに難関入学試験をくぐり抜け…

松井隆司指揮・伊川谷北高校吹奏楽部第16回定期演奏会を聴いた①

弟・啓三から電話「6日に神戸文化ホール(大ホール)で県立伊川谷北高校吹奏学部の定演が有るがいかないか」とのお誘いだ。JAZZ畑の弟が吹奏楽のコンサートへ行こうとは珍しいこと、何かあるなと言葉を待つ。「呉信一君が客演だそうだ。」 その一言で心動か…