山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

2年遅れの大学デビユー

1月15日を期して受験勉強再開。ただちに明石高校3年時担任の住田圭司先生にどっさり内申書を書いていただかねば。特にこの年は、記念受験を兼ねて慶応経・商、早稲田政経・商も受けるつもりで、地元の関西学院経・商(なんのこっちゃ)をいれると10通はお願いしたかな。年が明けると恒例のように内申書を頼みにくる、大変迷惑を掛けたもんです。さすがに、3年目ともなると、受かっても落ちてもこれが最後の内申書になることは先生も私も心得ている。後に余った内申書を開けて見てみると、かなり下駄を履かして下さっていた。むろん内申点などなんの足しにもならないことを承知で、馬鹿な生徒ほど可愛いわけはないが、慮って下さっていた。
関学経・商の受験を終えて、東京へ。そのlころの東京行きは専ら国鉄で、たしか行きは「急行 いこま」に乗ったと思う。新橋の第一ホテルに宿をとり、慶応ー早稲田の順に、ピーカン(たばこピースの缶入り)片手に受験行脚。もちろん合格は望むべくもない。宿もそうそう第一ホテルというわけにいかず、安宿にかえてすごしたのかな。東京にいる間に関学の発表があって、経済学部合格。この時は嬉しかったね。なにしろ行く先が出来たんだから。もちろん親父に入学金振込を頼んだことだ。帰りは夜行急行・銀河だったか、舞子駅に降り立つと両親が車で出迎えてくれっていて、サンドイッチと熱いコーヒーの用意がしてありました。やっと行先もあり、かなり気分も軽くなって商大・高丸へと向かった。
ここからのことは、2008.8.5案内文小文復刻⑥に書いた。思いがけず受験の際、国語・英語・数学でかなりの手ごたえがあり、母親にだけは、もしかしたら通っているかも等ともらしていた期待が現実となりました。
関学に払い込んだ入学金もフイになったがそれも仕方がない。関学とはトコトン御縁がなかったんだ。最近では関学を滑って商大にくる生徒が多いとか。どうなってしまったんだろう。