山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

ラッパとサッカー①

img396A.JPGimg395A.JPG2008.8.7の項で高校の担任・住田先生と音楽部顧問・有永先生に遅まきながらの合格報告にいった際弘子ちゃんとの、トリッキーな出会いがあったことは記述しています。まあこれがきっかけで以後47年に及ぶお付き合いが始まろうなんて。いまにして、ふとしたひと声の恐ろしさを感じます。正直今となっては、彼女には高3での出会いはチト早すぎて、選択肢もないままに囲われてしまったようなもので、僕にしたら十分正解で少しばかり後ろ暗い気持ち。後になって弘子ちゃんに惚れていましたと告白する野郎が続出。最近もOB楽団のメンバーの早すぎるお悔やみに参列した際も、未亡人が傍らの娘さんに、弘子ちゃんを紹介するのに、お父さんの永遠のマドンナよと言い出す始末。よく聞いてみると、はっきり気持はわかっていたけど、私からは言えないものとぬかす。そんな野郎がゴロゴロ居たらしい。
そんな出会いもあって、大学1年はサッカー部入部とOB楽団の練習へと、いそいそ通う誠に健全な生活を過ごすようになりました。
サッカーでは三大学(神戸商大・岡山・広島)定期戦があり、地獄の夏合宿があって、あっという間に、秋のリーグ戦をむかえる頃となりました。ポジションもRWの定位置を貰い、授業には出なくとも、練習は欠かさないという模範的なサッカーマンへと変身。ラッパのほうは腕に覚えありで、余裕のよっちゃんであります。しかしここで大問題が発生。このままOB楽団がコンクール(このころ兵庫県大会・関西大会・全日本大会)と勝ち進めば、今年の全国大会は北海道・室蘭とのこと。もろ試合とバッテングとなります。いま思い出すに、結局全日本まで勝ち進んで、事実2度目の全国優勝を飾っていることから、小林主将に泣きついて一試合抜けさせて貰ったに違いない。この大会の写真・プログラムが手元になくて、弘子ちゃんのアルバムから写真二枚拝借した。女性五人で写っている前列左が彼女。そう登別の温泉浴場で裸を見そこなったうちの五人です。