山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

デキシーランドジャズ・伊藤隆文のこと②

明石の駅前を仕切って,殆どのビルを建てたのが親父が親分と仕えるGODFATHER永田政一親分。この親分が一言発すれば子分どもは、逆とんぶりになって言いつけを実行しなければトンデモナイことになる。1969年(昭和44年)3月に駅前交差点角に建てた藤田ビルを手掛けた際も、4FはH花壇がクラブを、3FはスカイガーデンのN氏がバーベキューを、そして2Fは津野お前カウンター天ぷら屋をやれといわれて「てんぷらマルイチ」を構えたように、その当時山陽電車の線路沿いでに建てた新納ビルの2Fでは津野お前クラブを開けと命じられた。
このクラブというのは、今時のクラブではなくて、東京ナイトクラブの歌に出てくるような、綺麗なお姉さんを侍らすクラブのこと。てんぷらマルイチを開店した直後に明石に帰っていた私がこの店も担当することになった。
名前もクラブBOSSA・RIOと名付けて、大小痩デブ老若なホステスを取りそろえ賑々しく開店したはいいが、ある意味女性の生き血を啜るようなこの手の商売は全く馴染めない。その上ママのなり手がなくて終いには弘子ちゃんを駆り出してママに据えたは良いが、4男を身ごもってツワリが酷くて出勤停止。ついでにヤクザ屋さんに附けの取り立てにいって逆に恐喝にあう始末。これは弘子ちゃんの親父が県警の警部だったので早速願い出て立件逮捕して貰った。それにしてもこの仕事は我々が手を染めてはいけないとの結論に。
そんな時、てんぷら・クラブにお酒を入れてくれていた伊藤酒店店主・伊藤隆文先輩に、神戸に面白い店が開いたから見に行こうと誘われた。その店が今ときめいている開店早そうの「ソネ」でありました。伊藤さん(以後・ターヤン)のプロ時代のバンドメンバーである中川(以後ナッカン)がお店のど真ん中に据えられたグランドピアノで弾き語り。そのピアノの周りを外人がぐるっと取り巻いて、唄うやら踊り出すやら。それを日本人客が見物している。
そんなピアノの席に座らされて傍らでターヤンは早速トランペットを取りだす。ドラム・ベースと加わってジャムセッションが始まった。曲はSTANDARD中心。ガキの頃映画館でさんざん聞いた覚えのあるナンバーにちがいない。ターヤンのラッパの鳴ること鳴ること。おまけに酒屋からミュージシャンに変身してカコ良い。
ターヤン曰く、明石でもこのスタイルでやれば面白いんだけど。アマチュアのバンドの当てもあるらしい。結局問題はピアノの段取りだけということになった。・・・こうなれば実家にある妹の縦ピアノをとりあげるしかないか。