山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

第6回GOOD TIME JAZZ FESTIVAL①きっかけ

 今も古い出納帳といっても、もっぱらチケットの預け先と入金状況、それともろもろの経費の領収書の記録だけなんだけれど、手元に残っている資料を見直しながら、我ながらあの大コンサートを独りでやりおうせたもんだと自分ながら感嘆いたしております。
 あれはいったいいつ頃だったんだろうか。チケットを無理やり押しつけている記録が5月26日。それまでに企画立案の期間を考えると4月の初めだったかな。明石高校4回生音楽部OB・フルートの関谷卓児氏からTELが入る。「津野君、東京のBLUE COATSと言うBIG BAND 知ってるよね。明石高校・旧制中学併立1回生のトランペットで森寿男さんと、本木英夫さんの同級生でやっている人気FULLBANDのことだが、7月15日と17日関西で公演が有るんだが、ちょうど16日(水)が空いちゃって、ギャラはアゴ・足無しの裸足で好いんだけど、何か仕事ないかと言ってきてるんだ。津野君のお店では狭すぎるが、何とか面白い企画ないかな。」
 そのころ10年も上のOBから声がかかれば至上命令と同じ事。何としてでもやってくれとのお言葉。俺も若かったんだ。なまじJAZZに手を染めていたばかりに、BLUE COATSの何者かは十分承知しているし、関谷氏は伊藤隆文氏と4回卒の同級生でもある。そのうえ森・本木といえば、戦後の東京のJAZZ界で、いち早く明石高校のラッパとして勇名を馳せた伝説的プレーヤー。ご両人の活躍の御蔭で、あとに続いたラッパ吹きが東京のバンドに雇ってもらう際には、ギャラが並の3段は上だったとか。それほど評価が高かった。その森寿男さんがバンドマスターで、本木さんが一番トランペット、おまけにグレンミラーサウンドが売りときては、にべもなく断る言葉が出てこない。
 啓三に相談すると、BLUE COATS招聘大賛成是非やろう、日本楽器神戸支店も応援させるとの返事。
啓三も神戸支店を根城にしたBIG BAND「大器晩成会」を立ち上げて腕がウズウズしていたところか。明石メイトも満5年を経過して、かなりの充実をみせている。もちろんBLUE COATSの前座とはいかないが、そこは何とか熱演で許して貰おうという考えだ。もちろんプロとの共演であればこれ程良い刺激はありません。
 森・本木氏が昭和23年卒で伊藤さんが27年卒。そして忘れちゃあいけない、日本のマイルス・デビスとの呼び名で有名なJAZZペットの片岡学鯰学舎(高級料亭)主人にお願いして、音楽プロディユサーも兼ねて貰うという豪華なラインナップが纏まった。片岡氏は明石南高校卒で明石中学音楽部がマッカーサーの命令で、新制高校制となり、明石と明石南の両校に引き裂かれた際の一人であります。・・もちろん司会は末廣光夫御大