山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

津野町・吉村虎太郎

CIMG9975AB.jpg平成の大合併高知県でも市町村が半分ぐらいにまとめられちゃった。そして由緒ある地名がどんどん忘れ去られていく。例えば黒潮町。太平洋の黒潮が岸を洗うイメージで命名したんだろうが、そんな名前は太平洋に面していさえすればいいのであって、土佐の海に面して幡多郡の佐賀町と大方町が合併して黒潮町とは何と芸の無いことか。その西隣の四万十市。先日の近畿連合会の理事会の席上、四万十市の市長に立候補予定とかのJA卒業生が紹介された際、あの中村市四万十市に名前を変えたことを知りました。日本一の清流ともてはやされる四万十川に綾かってのことだろうが、一条氏・土佐の小京都・中村の名前を捨てるなんぞ、大馬鹿野郎もいいとこで、なんで中村という地名の意味が分からないいんだと腹立ち紛れに、市長候補にスローガンは是非「市名を四万十市から中村市に戻します。」にされてはと、それこそ真剣に提案いたしました。
そんな市・町名変更の中で、唯一これは良いと手を打って賛成したのが「津野町」。旧の東津野村と葉山村が合併して津野町となった。それこそ土佐戦国七雄の一角・津野氏が本拠とした地域を津野町とした見識には感銘いたしました。旧の葉山村はカワウソと風の里公園の20基が並び立つ風力発電機の風車、東津野村は四万十川源流とされる不入山(1336M)・カルスト天狗高原とあるがなんといっても吉村虎太郎。
なんと今回、雲の上のホテル隣接の雲の上温泉に野郎3人で入浴中、同じ露天風呂の湯船につかっている顔がどう見ても、あのエジプト学者・吉村作治先生にクリソツ。最初に私が気付いて啓三・芳男と顔を見合せて確かめあったが、どうしてエジプトが梼原におってのかが分からない。もしかして吉村虎太郎の所縁でもあるろうかとも考えた。今調べてみるに先生出身は東京都とあった。