山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

Holiday in kanucha resort②

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プライべートビーチの砂浜を見ながら、プールサイドでトロピカルドリンクを頂き、美女の泳ぐ姿を見るつもりが、なにやら妻やらトドやらが、水しぶきをたてております。あとは子供ずれのファミリーが如何にも楽しそうにはしゃいでる。007のようには参りません。
 沖縄の海の青さに魅入られたように午前中ずっとプールサイドで過ごす。これほど贅沢な旅の時間の過ごし方は恥ずかしながら初めてでございます。
 ツァコン状態の嫁に午後の予定を聞いてみると、美ら海水族館に行来ましょうとの返事。確か海洋博公園のなかにあって、巨大水槽がうりものとかは聞いておりました。
 海洋博で思い出したのが、昭和49年(1974年)明石ダイエー東館が完成して、それまで映画館の2階で営業していた喫茶リオ・ブラジルが地下のメイト明石飲食街への移転を余儀なくされ、1年半の仮営業ののち、やっとのことでオープンした翌年の夏。かねてから、屋上の有効利用をもくろんで、ビアガーデンの営業を申し入れた際、仮営業で体力を消耗していたことから、椅子テーブルの十分な準備にも事欠いた。
 初年度ということで実験的に営業してみたらという有利な条件のもと、ビールメーカーのキリン・アサヒにイス・テーブルの貸出をいらいするが、いい返事が返ってこない。思い余って、サントリーに勤めている同窓の三木氏に電話を入れて泣きついた。もちろん見ず知らず、ただ同窓の誼ということだけで。
 それがちょうど沖縄海洋博が終わった直後で、ビヤガーデンに使っていた、少々傷んだイス・テーブルならお使い下さいとの返事を取り付けた。実際届いたテーブルはかなりの痛みで天板がハゲハゲ。これじゃーいかんということで山陽広告の親父さんに頼んでペンキで塗りあげた。そんなこんなで250席を確保しての開店にこぎ着けた。ビル8階の屋上は眼前に淡路島を眺め、北に明石城と向き合うビアガーデンには御誂えむきの立地でした。なれないなか、この年の売り上げはかなりの手ごたえ。これがこのあと23年ものビアガーデン営業のはじまりであったとは。・・・着きましたよとの声に目覚めた目前に、広々とした海に面した美ら海水族館のエントランスが広がっておりました。