山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

ダイエー屋上ビアガーデン⑤戦い終わって日が暮れて

最初ビアガーデンのバイト生達も少数で、毎日補給する材料も少なく地下飲食街のブラジル店頭で保管しておいて、開店間際にエレベーターで屋上へ運び込めば事足りていた。
しかし、梅雨も明けるころともなると、バイトは増え、材料の仕込み、特に串かつを多量に作っておくのが、てんぷらマルイチでの仕事となった。毎日ドンクのパン箱一杯の串かつを西田の叔母ちゃんがつくるのが日課
ビアガーデンでのおつまみベスト3は枝豆・串かつ・から揚げと決まっていました。
かくしてビアガーデンの兵站補給基地と化したてんぷらマルイチへは、ビアガーデンの片付けが終わると腹を空かせたバイト連中がドヤドヤと下りてきて、まるで飯場の食堂となった。
持ってるもんだすね。古いファイルをひっくり返していたら、なんとBGの最初からの売り上げ一覧がでてきました。
いくら5-8月の期間、売り上げに偏りがあるといっても、想像しにくいが、残された数字を眺めてみると、そこまで差がありましたかと我が事ながら驚かされる。
昭和50年  5月 2,219,830円  6月 6,751,130円  7月 12,472,460円  8月 7,544,750円
総額  28,988,190円  とある。 この差の激しさ一目瞭然です。
シーズン初めに、コアとなるバイト生、それもシッカリした連中を呼び寄せてトレーニングを重ね、ピークの7月には、単純作業の兵隊バイトを多数補給する。8月の中ごろを過ぎれば、またもとのコアにまで人数を絞って行く。そんな労務の要領から、雨天対策、アトラクションからシーズン初めの、駅前でのビラ撒きにいたるまで、KNOW HOW といえば言えなくも無いことごとを学習する一年目はあっという間に終了した。
残ったのは、闇雲に走り回った芯からの疲れと、1000万の儲け。
BGが終わって気を抜いててんぷらマルイチの仕事をさぼっていたら、親父から雷が落ちてきた。
生涯仕事の上で親父からたった2回叱られたうちの一回。