山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

ロンドンへ出発

楽しかった思い出も綴っておかないと、我が仕事館で書き進むあと15年の悪戦苦闘ばかりでは筆が進まない。
平成12年の2月ころ、月一回はかかってくるロンドンからの国際電話で、二男がいよいよ6月でロンドン大学のMBA取得となるので、遅れている結婚式をロンドンで挙げたいが、家族そろって来てくれとの話。
この頃と言えば、我が備忘録にも平成11年11月ー平成12年3月大貧乏と大書してあるくらい、すこぶるつきのどん底時代。というのもお店を開けておれば、自分の手を食ってんだろうが、手元の現金で多少の融通がきくが、平成11年2月から最後のさんよう喫茶も閉店撤退して、産宅洋行・西海先輩の看板をかりてのヤドカリ
不動産仲介となっていた身にはほんと現金収入が見込めません。この貧乏のおかげといえばタバコをやめたこと。なにしろ吸いたくとも買うお金がありません。
そんな最中のロンドンにお出でとの電話に即答ができるはずもなく、3月ころには目途がたつかもと言葉を濁すしかありません。
けれど人生捨てたもんではありません。求人のビラを見ていると、明石の南二見にある人工島の三徳金属という会社が3交代24時間操業の人員を募集している。いまどきそれほど忙しい会社もなかろうと記憶にのこっていた。確か携帯電話のバッテリーに必要なレアメタルを製造しているとか。そんなときその工場の隣地2000坪が売却との情報をつかんだ。とりあえずFAXだけでも入れようと入れたところが10分もかからず問い合わせの電話がかかり、是非欲しいと正直な係長の声がした。
それまでの実績は一件あたり5億を超えることはなかったが、この契約は最終、隣地の移転先購入までいれると10億弱の金額となるもんだった。その決済が3月15日と30日。
やっとのことで、6月30日ジューンブライドの最終日に間に合うこととなり、切れていたパスポートも更新して関空から日航に飛び乗ってロンドンへと向かったのが6月23日のこと。