山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬ならどうする①

龍馬甲子園と言ってはみたものの、いったい何をしたいのか、自分の考えが混乱を来してきました。
龍馬研究家の講演を聞く、討論会でパネラーの発言を聞いて何か違うだろうと感じる。なぜ俺は、私は龍馬さんに魅かれるのか考えてみる。ところで龍馬さんのことをどこまで知っているのか試したくなる。
龍馬検定なるものが有るらしい。試しに受けてみた。案外易々と合格した人、日頃龍馬さんのことについては十分自信があって当然楽勝と思っていてが、あえなく不合格となった人。ところで君は龍馬さんの何を語れるかと言われて、はたと困った。龍馬さんのコスプレで満足していたんではないか。なにか龍馬さんから得るところがあって自分の処世に生かしているのか。細かな知識だけは人にまけないが、果たしてそれだけでいいのだろうか。確かに龍馬さんは無念の死を遂げたが、無念だったのは龍馬さんだけだったのか。現代のわれわれにとって実に無念なことではなかったか。なぜ死なねばならなかったのか。時代の断層に押しつぶされたに違いない。もし龍馬さんが生き続けておればどうなったろう。この日本は変わり得たのか。なにも変わらなかったのか。そして今龍馬さんが生きておれば何をなすだろうか。あの時代龍馬さんが持っていた時代感覚の鋭さを現代人はなぜ失ったのか。ただ眼を覚ましていないだけなのか。・・・そう「龍馬ならどうする」。
事実外敵、西洋帝国主義を一番警戒した一人であった龍馬。
薩摩・長州という不倶戴天の両者の手を握らせるために龍馬はなにを以てしたのか。徒手空拳、天下の素浪人、土佐脱藩・草莽の身一つ。天が龍馬さんにその運命を与えたとしか考えられない。
龍馬の死後、彼を取り巻いていた人々はどう変わったのか、変わらなかったのか。・・・・・