山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

バブル後始末に10年余

桜の花も散り終えて、八重も盛りを過ぎました。と同時に、浮かれた気持から我に帰って、あのバブルの後始末の10年を顧みる気になってきました。
3月11日いらいのテーマ「私の仕事館」です。
ジャスコ明石建て替え決定が昭和62年(1987年)12月。そして翌63年の8月のBG営業を終えると同時に8階及び鍋ガーデンの撤収に取り掛かった。
残る店舗は、喫茶リオ・ブラジルとダイエー屋上BGそして創業のさんよう喫茶の3店舗となります。
今この状況であれば、頭を抱えて呆然自失するだろうに、この年長男が大学入学、二男・高3、三男中3とあれば、そんな感傷にひったているどころではありません。なにもかもかなぐリ捨てても彼らが大学を終えるまでは
頑張らなくてはなりません。
さんよう喫茶の地下2階にライブハウス機能を写し、ブラジルの奥のスペースを座敷風に整えて宴会を受けることにした。
この間、ジャスコ明石ビルはどんどん取り壊しが進み、フォーラス明石へと建て替えられてゆく。
会う人ごとに、建て替え後はまたお店をあけるのかと聞かれる辛さ。言葉を濁すのが精いっぱい。
規模縮小と同時に、親父の時代から働いてくれていたベテラン数人にも辛い別れを申し出なけならない。
半分わが身可愛さの強引な退職話、もちろん十分な手当てを施せるわけもない。
思い出しても、未だ胸が痛む思い。けれどいつ不渡りを出してお陀仏かも知れないあり様を見かねて身を引いてくれました。
さんよう喫茶はおふくろが、ブラジルは私が切盛することで、人件費を絞り込む。
夏場は例のBGの夢を未だ捨てきれず、ダイエー屋上BGを開きかなりの鎬とした。