山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

阪神淡路大震災②

テレビの報道では、時間が経つに従って、被害がとんでもない規模に膨れ上がって行く。おまけに二次災害の火災の発生、それも関電が比較的早く通電したらしく、ガスもれに各所で火が付き、市内所所で火の手が上がった。消防が出ても、放水用の水が無い。地中埋設管のことごとくが断裂されている。ただ延焼を眺めるばかり。そのため地震での圧死に負けないくらい、火事によって建物の倒壊で逃げられない人々が焼死した。テレビが三宮駅前の惨状を映し出す。高架下から加納町への市電道にビルがそのまんま横倒しになって道路をもろ塞いでいる。さっそくこのビルが竹中工務店施工との情報が聞こえてきた。その後、このビル撤去の早かったこと早かったこと。
人間勝手なもので、須磨以東の地がひっくり返っているというのに、明石駅前は比較的静かな状況に一安心してしまう。
後で公文会長にお話をお聞きするに、公文病院、適寿病院は運び込まれる負傷者であふれかえり、野戦病院もかくやと思うほどの惨状で、一時は打っ倒れそうになったとか。つらく悲しい現場を数え切れないほど見たと言われる。
17日はとりあえず店内の片付けに専念し、いったん家に引き揚げた。
翌18日、駅前に東から逃げ出した人々があふれ出した。そして何かあったかい食べ物はないかと尋ねてくる。
ブラジルは地階口が陥没して入店できない。なんとか営業できるのはさんよう喫茶しかありません。
いま思い出してもどんな風に客を迎え入れたんだか、定かではありません。第一水道が止まっている。
しかたなく、ブラジルで高架水槽の水が残っているのを幸いに、ポリタンクに詰めては運び込む。
メニューも数点に限定して、アツアツの料理を出した。
冷たく、心細い一夜を過ごした人たちの喜ぶまいことか。・・・商売抜きの人助け。