山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

弾丸ツアー第2弾・飫肥城下町

都井岬からお猿さんに見送られR448をひたすら北上。右手に日向灘の奇岩奇景が見え隠れする。
南郷町の港際で[びびんや]の看板を見かけて、行き過ぎていたのを引き返して海鮮料理やとあるのを確認する。魚のことを土佐では「びんび」と言い、日向では「びびん」と言うらしい。それだけで嬉しくなって飛び込んだ。カツオ丼が美味しかったこと。あとは受けを狙いすぎて献立の方向が違っているように感じた。
日南市・ホテルリッチに部屋をとったのが午後8時を過ぎていた。
日南市は思いのほかこじんまりとした街で、駅前もさびしいものだった。ホテルリッチもエレベーター無しの3階建て。素泊まり専門で、気さくなママさんが心安く応対してくれる。
このあたりで見るべきものはと尋ねると、即座に飫肥へ行きなさいとの即答。飫肥を見てから鵜戸神宮へお参りすればいいとの助言。なにせ明日は、高千穂まで辿り着こうと考えている。

飫肥は九州の小京都といわれる、苔むした石垣、白壁の武家屋敷、清流に遊ぶ錦鯉、時代を超えた400年の昔にタイムスリップしたような佇まいを見せる。
伊東飫肥藩として安定したのは、天正15年義祐の子・祐兵(すけたけ)が豊臣秀吉に仕え九州進攻に従い戦功をたて飫肥城を拝領以来幕末までt続いた。伊東氏は、それ以前にもこの地で活躍しており、薩摩に敗れて大友氏、四国河野氏を頼り、最期に頼って秀吉によって、再び日向に帰ってきたわけだ。
特に藩校・振徳堂から日本近代外交の礎を築いた明治の外交官・小村寿太郎が出たことをこのたび初めて知った。また小倉処平と小村との関係など現地に行かねばその気分は味わえないものであります。
等身大の小村寿太郎写真は意外と小柄で華奢な姿でした。しかし、その風格たるやロシアを相手に一歩も引かなかった気骨を表したものでした。
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