山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

弾丸ツアー第2弾・西南の役戦跡公園

草千里を下り高速道方面、すなわち熊本方面へと向かう。
阿蘇村に差し掛かったところで西南の役戦勝公園の表示を見た。 佐川官兵衛戦死の地とも。
鬼官兵衛こと佐川官兵衛西南の役で戦死したことは知っていたが、まさかその地がここだったんだという驚きが先にたった。弘子ちゃんを車中に残し、カメラを抱えて飛び出した。
佐川官兵衛といえば鬼官兵衛と恐れられた会津藩家老として幕末、戊辰戦争で活躍。特に白虎隊の悲劇で有名な会津城落城に際しては、たまたま遊撃戦に出ていて、城を枕に死ぬこともかなわず、斗南藩に押し込められてからも隠忍自重、そのまま野に埋もれるかと思われた。しかし、その後巡査として出仕、これにより多くの列藩同盟敗残の士が後に続いた。
ところが西郷を担いでの西南の役が始まり、官兵衛は巡査隊小隊長として、ここ南阿蘇村までやって来ていたんだ。
一説によると、会津城開城の際の西郷の温情ある扱いに報いるため、秘かに薩軍に応援に駆けつけるつもりだったとか。
しかし、実情は、廃藩置県後の熊本、それも阿蘇一帯の農民一揆多発地で、早々と敵の銃弾を受けて戦死してしまったんだ。
幕末、明治にかけてこれ程奮闘力戦・艱難辛苦に耐えた人物も少なかろう。
戊辰戦争の激戦を生き残りながら、ある意味義ともいえない西南の役で、いとも簡単に命を失った。
泉下の管兵衛を思えば、しばし感慨満ちて、石碑を前に佇んでおりました。
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