山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

5億と500円・玉子焼きブームの予感

淡水サッカーの震災総会を終えてすぐに、先日がんセンターで出会った不動産業の師匠と手掛けた西明石駅前・2号線沿いのバブル物件の契約となった。
長年進和不動産管理と大書してある塀に囲まれた700坪ほどの一等地。
名前を書いてあるということは、売り物ですということ。それまで5-6年もお店に通う往復にその前を通る。
いやでも目に入る。
電話での手ごたえはまるでなかった。ほんとよく電話が掛かってきて、明日にでも買い手を連れてゆきますと約束して今まで一件も買い手の顔を見たことがないらしい。
三菱信託の子会社であることも判明。とすれば買い手を探すことと、三菱信託の親しい窓口を探すことが肝要。その時に思い出したのがこの師匠だつた。彼のパチンコ人脈で買い手を探し、私の商大ルートで信託窓口をさがした。
その経緯は前にも書いた如くだが、隣のパチンコ店に話を持ち込んでその気にさせる。信託は3年先輩のK氏が大阪で次長とかになっておられた。ここでの不思議は、この子会社の担当部長がK氏と同期の商大生であったこと。K氏もお安い御用とばかり、早速連絡を取っていただいて、君のことはよく言っておいたから連絡を取るようにと段取りをつけて下すった。
あとで判明したことだが、この時の買い手がとんでもない大物で、朝銀大阪の理事長さんの経営するパチンコグループだった。
そのあとの交渉は場所を朝銀理事長室で行われ、大金庫を背にした理事長主導で全てが運んだ。
物件前のバス停留所を動かすという難題はあったが、契約が成ったのが6月22日のこと。
この契約の最終決済は9月6日だったが、手にした777万の手応が我が行く道を指し示してくれました。
一方、日々のお店の営業を疎かにしているわけではありません。365日のうち362日は店を開け、BGを開け
何とか起死回生の策はないものかと考え続ける。
そこで考えたのが、2年後の迫った明石大橋の開通にともなう観光客の増加だ。
きっと明石にも客は来るだろうがその時の売りものといえば玉子焼き・明石焼きしかないだろうとなった。
早速安福の卵焼き鍋屋に押し掛けて、顔見しりを幸いに、鍋の手ほどきやら、材料のレシピやらの研究をはじめた。
そのころの卵焼きの売値が10ヶ500円。
一方で5億の契約をまとめ、一方では一鍋500円の明石焼きに没頭する。そしてそのギャップにさえ気が付かないで居る。確かにどこかおかしげなこととなっておりました。