山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

メモリアル・ジャーニー⑤土佐のUSAでアワビ飯

 PS 先日もお邪魔した「ひろめ市場」。その名前の謂われがどこから来ているのか、なにしろ明石生まれの俄か土佐っ子には分かりかねて、4・5年前には姫路のダイエー後にこの「ひろめ市場」がオープンした際にも早速出かけてお店の人に名前の由来を聞いてはみたが、誰も知らなかった難物でした。
それが偶然にも今回のよさこいでやっと判明した。
曰く、幕末土佐藩家老・深尾弘人(ひろめ)の屋敷が有ったことから、地元のひとはこのあたり一帯を、ひろめ屋敷とか、ただ単に「ひろめ」とか呼んでいたとか。そしてこの地にオープンしたごった煮市場を「ひろめ市場」と名付けたとのことだつた。

『スモーク人間にされた翌朝、早々とチェックアウトして、前日注文しておいた夜須駅の名物・アワビ飯を受け取り、高知駅でその朝高速バスでやってくる妹をピックアップした。
叔母の家は寺田寅彦記念館の近くにあって、尋ねると待ちかねていたかのように飛び出してきた。
永の御無沙汰をお互いに言い合ってさあ出発。
叔母は思いのほか元気元気で一安心。近況を報告しあって今回の旅の目的を告げた。
まあ私が憶えているバアの事を話すのは容易い御用とご機嫌だ。
須崎に向けて行くのに横波におわす武市半平太像を訪ねて行こうとなって、車を春野方面に。
すぐにお昼時分。この為に用意した夜須・アワビ飯をちょうど通りかかった宇佐海岸・竜の崎海浜公園のベンチで頂くことにした。
眼前、いかにも長閑な太平洋を望み、心は洋洋と解き放たれた心地。宇佐すなわちUSAと書いて、地元の人はちょっと自慢げ。
武市半平太と肩を並べ、横波を抜けると古里・須崎はもうすぐ。
今や、高知道延伸で大人気の道の駅「かわうそ須崎」に立ち寄ってみる。
たしか親父の口癖は新荘川かわうそと泳ぎ比べをしただったことが思い出される。
多分そのころはそれほどたくさんかわうそも居たに違いない。フリチンで走り回る姿が目に浮かぶ。
明日は[津野」ゆかりの元亨院での両親の供養をお願いして久礼の「黒潮本陣」へと向かう。』

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