山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

メモリアル・ジャーニー

杉尾秀哉を聞いた・ユーカリ会60周年記念総会

我が母校・神戸大学教育学部附属明石中学校が中高一貫校として生まれ変わるため住吉校に統合され、明石中学校は来年3月62回生の卒業に併せて閉校となる。 そこで問題になったのがその同窓会であるユーカリ会の存続でありました。 この1年集中してその存続…

新荘川

親父がふりちんで日本かわうそと泳ぎ比べをしたという清流の写真を発見。 カメラマンはやはり須崎出身なのかな、故郷の川と記しておられる。高野弘さんだ。 四万十川以上の清流ではないかな。

メモリアル・ジャーニー⑫供養・墓参

1000年の昔、ご先祖さんが命がけで寸土を争っていた怨念はわが身にと乗り移り、今や、土地売買となれば妙に血が騒ぐ。元亨院での和尚さんの読経を聞きながら、親忠を思い出し、親父を懐かしむ内に供養も終り、笹野の墓所へと向かった。あれほどの地所を…

メモリアル・ジャーニー⑪幕末・草莽

関ヶ原の合戦が慶長5年9月15日、親忠の自栽が9月29日。この間2週間、今更ながらその素早さに驚かされる。 盛親は兄殺しを咎められての改易といわれるが、関ヶ原戦勝に伴う報償に頭が痛かった家康にとっては、持っての幸いであったことだろう。また念願の島…

メモリアル・ジャーニー⑩津野親忠の最後

盛親が知ってか、知らずか押し寄せた軍勢が霊厳寺(のち孝山寺)を囲んだ時、親忠は碁を打っている最中だったと伝えられている。 家臣のものが、おめおめ討たれるより、一戦に及ばんとの進言をそれには及ばずと退け、そのまま悠然と碁を打ち終えて後、自若…

メモリアル・ジャーニー⑨関ヶ原始末(序)

長宗我部元親が人変わりしたのは、秀吉に命じられた島津征伐にでかけた戸次川の合戦で、長男・信親を戦死させてからだといわれる。 この信親の死後、早速家督争いが持ち上がる。この時、元親は二男・香川親和、三男・津野親忠を飛び越えて四男・盛親を後継…

メモリアル・ジャーニー⑧元亨院

土佐の海の幸を存分に味わった翌日、いよいよ我が家の菩提寺である元亨院(げんこういん)での供養へと向かう。 元亨院の名前は、随分と子供の頃から聞かされていて、今迄不思議と一度もお参りしたわけではないのに、何故か懐かしい場所に戻るような心地を…

メモリアル・ジャーニー⑦親父の大病

『 後に須崎の町、今の古市町に出てお風呂屋をやりだしてからは、燃料の古材運び・風呂がま焚き・番台と山のような仕事をこなしながらも、「清志よ」と用事を頼もうと思い呼ぶうちに「良し来た」とその要件も聞かぬうちに飛び出して行くような子だったと聞い…

メモリアル・ジャーニー⑥・黒潮本陣

『中土佐町の黒潮本陣は評判にたがわぬ風格と設備で、まるで 土佐戦国七雄の頃の海城の趣きがあります。 その紋からして星三つの下の一の字を飛び魚の泳ぐ様にデザインして秀逸。これは明らかに津野氏の家紋を拝借したものにかわらん。 広々と海を見晴らす露…

メモリアル・ジャーニー⑤土佐のUSAでアワビ飯

PS 先日もお邪魔した「ひろめ市場」。その名前の謂われがどこから来ているのか、なにしろ明石生まれの俄か土佐っ子には分かりかねて、4・5年前には姫路のダイエー後にこの「ひろめ市場」がオープンした際にも早速出かけてお店の人に名前の由来を聞いては…

メモリアル・ジャーニー④海辺の果樹圓

『13日の夜は、夜須駅・ヤシーパークに立ち寄り、翌日お昼用のアワビ飯を注文して、ホテル「海辺の果樹圓」に一泊。名前からして中々の訴えがあリ期待を込めてチェックインする。だって高知ではその名を知らぬものはない 名菓子店・浜幸の直営だというでは…

メモリアル・ジャーニー③日曜市とはりまや橋

『一店一店を順に覗いて歩く。まさに覗くとしか表現できない。花と野菜の豊富なこと、しかもこれが驚くほどの安さ。売り子のオバサンたちの生き生きした表情に見入る。もちろん芋のてんぷらをほおばることも忘れない。 「ひろめ市場」のごった煮感もまた一興…

メモリアル・ジャーニー②旭の名所も桂浜・浦戸大橋

『 神戸高知県人会副会長 津野伸一 堺の県人会総会にお邪魔して、思いがけなく頂いた高知行きのフェリー往復乗船招待券を有りがたく利用して平成13年9月13日(土)夜、大阪南港へ。 目的は、今ではたった一人の生き残りとなった親父の兄妹の一番末っ子で、九…

メモリアル・ジャーニー①

2003年のメモに、これほど気楽なお盆は仕事を始めるようになってから初めてのこととあった。 確かに、入江商店の自己破産に身につまされながらも、俺は何とかやってるぜという気分もあった。 そのまま入江にいたところで、この事態を迎えることになっていた…