山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

海軍軍令部と「冬の兵士」②大鑑巨砲の幻影

 統帥権という化け物が日本の鼻面を引き回し始めた。
軍艦保有の制限というタガがはずれた海軍は、一挙に大鑑巨砲のシンボルともいえる大和・武蔵の建造に走った。
真珠湾攻撃が航空兵力による新時代の戦法と持て囃され、山本五十六が軍神のごとく祭り上げられてしまったが
むしろ、真珠湾の大成功がその後の作戦を大きく誤らせる原因となったと言える。
即ち、ミッドウエー海戦を計画したことである。
ミッドウエーはまけるべくして負けた戦だった。その作戦原理も、真珠湾で見せた航空兵力による、敵空母の殲滅を目的とせず、大和・武蔵の戦艦を温存し、空母機動部隊を丸裸で送り出してしまった。
海軍反省会でも時期早尚は指摘され、海軍首脳の間でももう少し準備期間をかけるべきという意見もあったが、
あの山本が言っていることだし、この際やらしてみようといった気分で作戦遂行が決定した。
常に冷静な判断を心がけるべきが、このような情緒で物事を決してしまう。
強烈な失敗のあとも、決まって反省を忘れる日本人の特性そのものが出たわけだ。
かくして、ミッドウエーの海に虎の子の空母多数が沈んでいった。
山本が航空戦の時代を察知していたのであれば、一隻の大和を作る代わりに10隻の空母を作ったはず。
遂に、明治・日露戦争でのバルチック艦隊を打ち破ったという亡霊にとりつかれ、おまけにこの海戦での敗北を国民の目から隠しとうそうとした。
自国民を欺いての戦争継続など考えられないことさえ気が付かない。近代戦は国民総力戦であるはずなのに。
あとは、忠良なる汝臣民のくそ力のみが頼りの、惨憺たる負け戦に日本を引きずり込んで行った。