山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

五木・親鸞いよいよ大団円

 全国地方有力紙がこぞって連載中の『親鸞』がいよいよ親鸞を名乗るクライマックスに差し掛かっている。
別れと旅立ちのとき(8)では最後、法然上人との面会を果たす中で、初めて親鸞と称することを法然上人に報告する。
それに法然上人応えて「その志や賞すべし。念仏往生の教は、遠く大乗の道にすすんだ天竺の世親菩薩と、浄土の思想を極めた曇鸞大師の願につきる。我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国。 そなたは、この法然をもこえて、さらに遠くへ旅立とうとしているのじゃな。」
範宴ー綽空ー善信、そして親鸞と四度目の脱皮を経て、越後への流罪となり出発する直前。
この時法然上人も四国高松への流罪が決まっていた。
状況から言えばよくぞ流罪止まりで済んだものだといえる。
両者は同じ姓・藤井と名づけられ法然は藤井元彦、親鸞は藤井善信と名乗る。
この連載開始から一日も漏らさず愛読。
大切に切り抜いていても、やはり抜け落ちたもの多数だ。
これほど注意を払ったあげくが公となれば、何事にももっと集中してかからないと迷惑をかけることになりかねない。

実際お浄土が有るとは思えないし、必ずやってくる我が断末魔が如何なるものか心中、脅え恐れているわけだけど、この世に不自然なことはたぶん起こらない。その時はその時で土佐の政婆さんのように一言呟いておさらばするつもり。「もうだれた」。