山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

嗚呼・黒四ダム

 立山からはるばるやってきた最終目的地・黒四ダム。
昭和31年から昭和38年の年月をかけて、壮大な事業が関西電力の手で行われたんだ。
宇宙から眺めて、目視出来る日本での人工構造物の一つ。
黒部湖を堰き止める堰堤に立つと、湖と放水落下して行く眼下の谷底の落差が実感できる。
観光放水と言う割には盛大な水量で、眺める位置が変わるごとに、虹が見える位置も変わります。
扇沢へと通じる関電トンネル入口の広場に、この難工事の犠牲となった人々を顕彰するための群像碑が設えててあった。
思わず駆け寄り、拝礼の後、銘板に刻まれた人々の名前を食い入るように読んで行った。
総数300もあろうかという多数の人々が貴い命を捧げた。よくもまあ、これほどの人柱をこの黒四は必要としたわけだ。
ふしぎと、おなじ名前の連なりが多く見受けられた。
もしかして、家族・親戚にあたるグループではないのかな。
犠牲になった方々は、現場の一番危険な個所を任されていた方々に違いない。
いわば、下請けのまたその下請けみたいな。
広畑製鉄所でも人身事故は発生したが、おそらく製鉄所の職員が犠牲になることはまずなかった。
それと同じ図式がこの地でも当てはまるかもしれない。
通過するのにほぼ2年を要したという大破砕地帯での犠牲者は身分の上下を問わなかったに違いありません。
深々と頭を垂れて、改めてこの事業の凄まじさを思ったことでした。
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