山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

高知1区選挙事情

 正直いって、1年8ヶ月前、高知県知事橋本大二郎氏が任期満了を迎えて知事退任に際し、今後は国政へ臨みたいと宣言した時には、おまけに一区からの出馬と聞いた際には、我が高知県人土陽会の古参会員・福井潤氏のご子息・福井照衆議院議員危うしとばかり、心配しまくったものでした。
実際、認知度においては大二郎氏にはとても敵わない。
知事として一体何を残したかと問われれば、官官接待の禁止で、高知の夜の街は火が消えたようと言われ、老舗料亭が次々と姿を消してゆきました。
それはそれで、日本一を任じた酔っ払い運転も少しは減ったに違いないし、功罪半ばとしても、県の役人の人件費は全期間を通じて僅か5パーセント減少したにすぎなかった。
さぞや氏も、言ったことの殆どが達成出来なかったこと、不完全燃焼もいいとこで、国政への転身を考えたにちがいありません。
その大二郎が高知1区で出馬と聞いて、はるか神戸の地にいる我々高知県人は、頭から照さんも大変ぞねと思い込んでおりました。
この宣言が有ってから、父君潤氏は西宮に自宅があるにも拘わらず、高知に張り付き続けられた。
息子に代わってどぶ板選挙をされていたわけだ。
ところで、今回の選挙では、大二郎氏のことは、驚くほどマスコミに取り上げられなかった。
氏の最有力プロパガンダであるマスコミによる知名協力がこれほどまで低調であったのはなぜなんだろうか。
日本中を吹き荒れた政権交代の大津波四国山脈でさえぎられたのか、高知全県で自民が議席を確保。
結果、あえて言えば、大二郎氏の出馬がなかりせば、照さんの当選は無かったということ。
当初の心配が、逆の効果を現した。
もちろん、照さん一家の渾身の活動・努力が議席を勝ち取った要因だが、民社の票を大二郎氏がかなりの割合でかっさらってくれなければ、危ないとこでありました。
それが証拠に照氏は全国一低い得票率での当選となりました。・・・いや潤さんおめでとう。