山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

塩田晋座談より

 日本のケネデイを目指されておられた淡水OB・塩田晋衆議院議員(高商16回)の座談を淡水第50号記念号(平成16年)で拝読。
昭和51年ー61年先生の選挙区が3区明石・加古川の当時、高木学長の号令の下、淡水会明石支部はほとんど塩田晋選挙対策本部と化しておりました。
川崎重工明石事務所長藤田修作先輩を司令塔として、川重労組(民主党)と協力。たびたび決起集会を開き、選挙公示日には川重のJAZZBANDととも私もラッパを抱えてトラックに乗り込み明石市内を練り歩いたり、挙句は明石デパートでの決起集会では応援弁士まで勤める肩のいれようでありました。
その塩田晋先生の懐かしい座談を淡水誌上に発見。選挙結果も詳しく書かれていて、結局は国政選挙5勝5敗であったことを確認。
東京の往き帰りにお店に顔を出していただき、食事を召し上がりながら政局を語っていただいた。
引退されたのち、側近グループの一員として淡路へ記念旅行にお招きいただいた思い出も思い浮かぶ。
先生はそのあと平成17年12月11日にお亡くなりになり、加古川の事務所に駆け付けた有様も今は懐かしい。
御話では神戸商船大ー神戸経専(神戸商大)ー神戸高等商業(現神戸大学)ー京都大学と承って居りましたが座談では商船が抜けておりましたね。
戦後労働省での苦労は大変なもので、今では信じられないほどの労働争議も多発するなか、志を持っての政界進出であったとか。
一昨日のブログにも書きましたが、商大の性格上政界で活躍されたOBも希少で、市会・県会議員まではちらほら見かけますが、国会議員となりますと塩田先生一人という寂しさでありました。
その先生が古里加古川・志方を懐かしむなか、三嶋由紀夫について触れられております。

PS. 学部16回同期の岡田述史の御子息が加古川選出の民主党岡田康裕衆議院議員であると昨日知りました。なにやら因縁めいたものを感じます。