山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

百済寺(ひゃくさいじ)縁起・聖徳太子

 前回はこの百済寺の紅葉までで夕暮れとなってしまった。
今回は後2ケ寺に行かねばならない。
そこで百済寺は庭園本坊・天下遠望の名園の散策に止めた。
しかし、寺格としては、釈迦山・百濟寺は湖東最古の古刹の1つであり、疎かにするわけにはいきません。

百濟寺の縁起書によりますと、百濟博士・慧慈とともに湖東の地に来られた聖徳太子が東の山中に毎夜、瑞光が見られたので、傍らの慧慈に尋ねたところ、翌朝慧慈は太子を案内して東方の深山(現在の百濟寺の位置)に分け入られた。すると、上半分の幹が切られて光明を放つ杉の巨木が立ち、その周りに一群の猿が木の実をお供えしている光景に出会われました。
太子が不思議に思って慧慈に尋ねたところ、この杉の上半分の樹は百済に運ばれて「龍雲寺」の本尊十一面観音菩薩像になっていることが判りました。
そこで太子は、これは願ってもない素晴らしい「御衣木(みそぎ)」を得たとして根の付いたままの下半分に十一面観音菩薩像を彫り始められました。
この第一刀の入刀日が推古天皇14年(606)10月21日だったと縁起書に記されている。
従って、㍻18年10月21日でまさに創建千四百年となる。
まさに大和と渡来人との古くからの交流を裏付ける。
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