山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

再度山・鯰学舎の紅葉②イロハモミジかオオモミジか

 日もとっぷりと暮れた7時頃、林道の奥に佇む鯰学舎へとたどり着く。
といっても、考えてみれば九十九折りの再度ドライブウエーを4分を切る速さで下るという片岡師匠にとってこの立地は偶然なのか、狙われてのことなのか最適の立地でしょう。
だって、下ったところは山本通り3丁目、目の前に北野異人館街が広がり、15年出演されていた北野クラブも目前。昼と夜の食事客のメドをつけて9時からの演奏出番に転がるように坂を下ったという言葉どうり転がって10分で三宮のど真ん中。これ以上の立地がありますか。
それも瀬戸内海国立公園の中。今になっては掘立小屋一軒も建てること不可能です。
奥様のお知り合いの御縁でのこととか。

すこし危うい橋を渡れば門前目の前にこのことかと一目で分かる紅葉がライトアップされていた。
手持ちのデジカメの解像力ではなかなかその繊細な美しさまで映し出せないが、肌を刺す冷気の中、見上げる漆黒の夜空に浮かび上がる可憐な葉々は深紅に輝く。
昭和48年に建てられた平屋の座敷縁側から見る紅葉が特に美しい。
目を左に向けると、枝垂れ桜も40年の枝ぶりのシルエット。これは春も楽しみだ。
その座敷に集った我々8人に片岡師匠自らてんぷらを振る舞われた。
そのてんぷらに添えられた紅葉のてんぷら。今その写真を見ながら紅葉辞典をひっくり返す。
多分、イロハモミジかオオモミジではなかろうか。

茶店でも開こうかとの話から、同じ開くならおいしい料理を出そうと夫婦そろって料理教室通いからはじめたとか。この夜午前1時過ぎまで一献を傾け(ある人はがぶ飲み)ながら伺った師匠の半生記。首尾一貫して始めたことは徹底してやり尽くすの一語に尽きるものでした。それもおしゃれに格調高く。
戦後、17歳で佐世保の米軍キャンプがプロとしてのスタート。
あたかも、朝鮮動乱の真っ最中。当時のJAZZMENのギャラは信じられない額だった。
周りは、学生バンドか軍楽隊崩れのメンバーだ。
思えばJAZZ界でいえば戦後ゴールデン時代の申し子だったわけだ。
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