山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬最後の帰郷⑨一筆啓上仕候

 その際、木戸準一郎から龍馬に来た手紙に添えられた渡辺弥久馬宛の書簡は激しい内容である。

一筆啓上仕候。 然るに此の度云々の念これあり。手銃一千挺、芸州蒸気船に積み込み候て、浦戸に相廻し申し候。参りがけ下ノ関に立ち寄り申し候所、京師の急報これあり候所、中々さしせまり候勢、一変動これあり候も今月末より来月初めよふ相聞へ申候。二十六日頃は薩州の兵は二大隊上京、其の節長州人数も上坂(是も三大隊ばかりかとも存ぜられ候)との約定相成り申し候。
小弟下ノ関居の日、薩大久保一蔵、長に使者に来たり、同国の蒸気船を以て本国に帰り申し候。
御国の勢はいかに御座候や。又、後藤参政はいかがに候や。(京師の周旋くち下関にて承り実に苦心に御座候)
乾(板垣)氏はいかがに候や。早々拝顔の上、万情申し述べたく一刻を争って急報奉り候。謹言
九月二十四日  
渡辺先生  左右                               坂本龍馬
十月三日京都にて大政奉還の建白書が出される間際、いまだまとまらぬ土佐の藩論統一と、和戦両にらみの小銃購入を迫る龍馬の鬼気迫る書簡。これ程緊迫した一筆啓上仕候も無かろうに。