山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

賀川豊彦と内貴八郎右衛門の接点

 2月21日の神戸新聞明石版TOPに懐かしい顔が載っていた。明石上の丸教会の内貴牧師さんだ。
思えば、一浪目、40年前、思い余ってプロテスタント教会である明石上の丸教会の戸を叩いた事があった。
当時まだ若くて元気一杯の内貴牧師に何度となく悩みの相談を持ちかけて、親切丁寧に対応して頂いた。
洗礼にまではいたらなかったが、ミサにも参加し、讃美歌も歌っていた。
その名残が、大学2年での鈴木ゼミ(倫理学)でのマックスウエーバー『プロテスタンティズムと資本主義の精神』研究に繋がる。卒論もその延長の論理展開だ。
一方、賀川豊彦氏と言えば、神戸で救貧活動を始めて、昨年で100年を迎えた日本を代表する社会運動家であります。先に徳島板野で第一次世界大戦での捕虜収容所記念館とともに併設された賀川豊彦記念館を見学した。
その際には、尊敬すべき人物との感想のみで、まさかいささかでも接点があるとは夢にも思わなかった。
その賀川氏が昭和24年(1949)滋賀の大津教会を訪問し、内貴牧師の実家に泊ったことがあったとある。
いかにも古い写真は3月9日撮影、満61年前。
若き日の内貴牧師もネクタイ姿で、賀川先生の後ろに立っておられる。
あの貧しい時代、なんとか貧民を救済しようと挺身された功績は図り知れない。
その薫陶を受けられた牧師に、若き日何がしかの指導を受けていたんだと思うと、何かしら誇らしい。
牧師との御縁は、その後も続き、特にご長男が明石小学校6年生の時、校長先生に頼まれて教えたサッカークラブの一員として、グランドを走り回っていたことを覚えています。
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