山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

作家・工藤章興(くどうしょうこう)

 世の中今や龍馬本が溢れていて、土居晴夫先生に言わせれば、昨日まで新撰組を書いていた連中が、皆して龍馬本を出している状態です。
ざっと立ち読みして面白い内容が書いてあればと思い手に取ってみるが、ほとんどが受け売り、孫引きの域をでない。これで金が取れれば苦労はしない。
そんな中、歴史群像スペシャルという一見グラフィックな雑誌の表紙に『特集・長宗我部元親と一領具足たち』とあった。
勿論、本命は『風雲児こんな男そうはいない!坂本龍馬・新しい日本を創造した不出生の雄』と賛辞てんこ盛りの総力特集であります。

たいがいの龍馬雑誌を見てきたが、長宗我部元親と並べて書いている物は見たことが無い。
心中、もしやと思いページを繰る。
岡豊の姫若子と呼ばれた元親の生涯を①土佐統一②四国平定③秀吉来寇すとあって、④関ヶ原から大坂出陣への章で、お目当ての文章が、事実がありました。
無断引用『関ヶ原での戦闘終了後、盛親は立石助兵衛と横山新兵衛の二人を使者に立て、かねて懇意の井伊直政を介して家康に謝罪した。さらに盛親自身が上坂して謝罪したものの、帰国後に寵臣の久武親直の勧めによって兄の津野親忠を謀殺したことが家康の逆鱗に触れ、土佐を没収されてしまうのだ。』

この事により土佐を受け取ったのが山内一豊であり、ここに土佐の上士と下士(長宗我部遺臣・郷士)というまれにみる厳しい身分制がひかれる事になった。
そして、この250年に渡る鬱憤が幕末・草莽のパワーを生み出す源となった。
その大本に津野が関わっていた訳だ。
ここで龍馬と津野が繋がるわけだ。・・・私が龍馬に拘るDNAであるのかな。
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