山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

竹槍と剃刀

 馬鹿なもので、一気に読破した覚えのある大森実先輩の『エンピツ一本3巻』の最初の所を読み返したが殆ど忘れてしまっていて、おまけに面白い話がぎっしりで、ついつい読み進んでしまった。
観るたびに胸に迫るあの神宮外苑での学徒動員に始まる大学生繰り上げ卒業で徴兵された神戸高商同期生の内、ダイエーの中内氏と大森氏は早行きで、早速の徴兵を免れたとか。
このため、大森氏は日本窒素に就職するわけだが、ダイエー中内氏はたしかビルマ戦線へ送られた筈だ。
ジャングルの悲惨を通り越した状況の中で、国民誰もが夕飯にすき焼きを囲めることを夢みて、復員後ダイエーを創業したはずだ。
もっとも、大森氏は故郷・岡山・和気での徴兵検査でたまたまレントゲンに肺の陰が写り、乙種合格となっていた。

その中の敗戦前夜のエピソードとして、竹槍と剃刀の話があった。
一億玉砕・鬼畜米英のスローガンはまだ記憶にあって、ついに男子は竹槍で米兵に立ち向かう。
一方、女子は上陸して来た敵兵を色気で誘い、敵のナニを剃刀でちょん切ってしまおうと言う、今考えれば噴飯ものの作戦も真剣に検討されたそうだ。
悲しいことに、当時この捨て身作戦に該当する婦女子は日本全国に3000万人で、なんとか用意出来る剃刀が1000万であったことから、作戦は見送られた。なんじゃこれは。

ついでに書くと、よく知られているスローガンには必ず続きがあって、たとえばいろは丸補償交渉に際して龍馬さんが長崎丸山界隈に流行らせた唄の文句である『金を取らずに国を獲る』の続きは『国を取ったらミカン食う』
だったとか。よほど紀州のミカンは天下に美味と知られていたんだ。