山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

昭和天皇論①御前会議

最近つくづく昭和天皇の偉大さを感じる。
八月九日、深夜十一時五十分から皇居の地下十メートルの深さに掘られた防空壕の中で、最後の御前会議が開かれていた。
天皇は金屏風を背にして一段高い玉座大元帥の制服。天皇玉座の前にコの字型にテーブルが置かれ 、天皇側から見下ろして左側に鈴木貫太郎首相、阿南惟幾陸相梅津美治郎陸軍参謀総長が座った。右側には平沼騏一郎枢密院議長、米内光政海相東郷茂徳外相、豊田海軍軍司令部総長が連なり、陪席したのは迫水久常内閣書記官長、池田内閣総合計画局長、吉積陸軍軍務局長、保科海軍軍務局長らでテーブルの上には、東郷外相が書いた甲案と、阿南陸相が書いた乙案の二つの書類が載せられていた。
東ドイツの古都ポツダムで、戦勝連合国が発表した無条件降伏宣言の中には「天皇の地位」は空白にされていた。ポツダム宣言発表後二週間の空白期間を経過し、その間、広島と長崎に二個の原子爆弾が投下され、ソ連軍の参戦という恐怖的な大付録が付くまで、政府と軍部が宣言受諾を戸惑ったのは、ポツダム宣言内に「天皇の地位」が空白化されたためであった。宮中地下壕、最後の御前会議の席でも、最後の最後まで揉めに揉めたのはこの一点であった。