山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

無差別爆撃・ゲルニカ

 国際法戦争犯罪として律せられる無差別爆撃の最初は1937年4月26日ドイツ空軍によって行われたスペイン・バスク地方の人口7000人の都市・ゲルニカにである。
この爆撃の悲惨はピカソゲルニカの絵に象徴される。
それは戦争遂行上許される軍事目的物を狙っての爆撃ではなく、無辜の人民を殺傷する事を目的とする憎むべき所業、戦争犯罪と言わなければならない。
日本も中国大陸で重慶等に対して渡洋無差別爆撃をおこなっている。
多分、米国はこれらの事から学習し、なお効率を高めるため絨毯爆撃なる戦法を考案。
おまけに、木造家屋が密集する日本を焼き払うべく、焼夷弾の開発を進め、E48集束焼夷弾に至った。
名古屋空襲の際、撃墜されたB29の搭乗員27名を簡易裁判をもって斬首死刑としたとして、B級戦争裁判にかけられた東海軍司令官岡田資(たすく)中将が法戦として主張したのが、無差別絨毯爆撃という許されざる戦争犯罪加担者としてB29搭乗員を処したことの判断だった。
なお中将はこの命令が自分から発せられたものであるとし、部下は命令を遂行しただけだとして、全責任を一身で引き受けた希有の将軍でありました。
人間を大量に殺すことにさえ、人間は効率を考え、次々と発明改良を重ね、やがて原子爆弾へと辿りつぃた。
武器を持てば使ってみたくなるのが人間の性。ポツダム宣言が発せられる以前にもう日本への原爆投下作戦は決定発せられていた。