山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

直人が義人となる日・箱根風雲録

 河原崎長十郎山田五十鈴主演の箱根風雲録が面白かった。
芦の湖は海抜723メートル、貯水量1億7千万トンで宮ヶ瀬ダムに匹敵する。
1670年(寛文10年)2月25日、日本の土木史上重要な意味を持つ箱根用水が完成した。
地元の言い伝えでは、江戸の町人・友野与右衛門(甲州流土木技術者)、深良村名主・大庭源之丞、箱根権現別当・快長僧正の3人は、水不足に悩む農民を救うべく私財を投じ、幕府や小田原藩(稲葉家)の権力に抵抗しながら用水を掘り、その結果、開田500町歩、8000石の増収になったと言われてきた。
特に芦の湖は箱根権現御手洗之池とされ、この水利の承諾を得るのに、二百石之所(伊豆国沢地村年貢米90石)を永代寄進を条件に許可された(寺社奉行)。また箱根関所(沼津代官・幕府)からは関所破りのための抜け穴と疑われての難工事となった。
全長1280メートル。入り口と出口両側から掘り進んで貫通箇所では1メートルの誤差であったと言う。
すべて手掘りで、碌な計測機器のない中、湖尻峠を掘り抜いた。
当初、1年の工事期間が終わってみれば4年も掛かった。水掛け料での利益配分を目論んだが、最終友野は自分の家屋敷をも売り払い資金繰りに投じたと言われる。
一説には友野は富沢村の「選び出し米代金」として幕府に納める金110両を着服して訴えられたとも言われているが、この難工事をやり抜く上での艱難辛苦は例えようもないもので、その結実の恩恵を今に続けて受けている事実からしても、単に利益だけを目論んだ事業とは思えない。
むろん当初は1年余りで仕上げて、十分な利益も見込んだろうが、途中からは農民の無知蒙昧に悩まされ、難工事の工夫に疲れ、なお継続した姿からは映画に描かれた義民・義人と変容して行ったのではなかろうか。
この国の庶民の歴史を見て行くと、わが土佐に於いても中平龍之助のような義人が出現し時代の歩みを大きく進めている。
今も内閣閣僚の就任演説を聞いているんだが、先ずは菅直人が菅義人と成って善政を施してくれればなあとため息三斗。
かの友野・大庭の両人は工事完了後行方不明となっている。
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