山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

節目の年

親父が亡くなったのが69歳と19日。親父の誕生日とは5日遅れだから、1月10日で何とか年齢では親父を越えられた。死因は1年の闘病の後の多臓器不全によるものだった。
今振り返って驚くことは、病気治療から何から、すべては伸一に聞けと、私に全てを委ねてくれたこと。病状から治療の方針から、私ならとてもそうは出来ません。ジタバタと見苦しい姿を晒すに違いありません。その上、肝心の私に、病気進行についての一切の質問がなかった。そのころのこと、ガン告知もしていなかったため、お腹が無性に気持ち悪いんだとの訴えにも、正直な説明が出来ず、心の内で、ただただ辛抱してくれと声を懸けるばかりだった。
その親父の年齢に達し、何とか健康を保っている自身でも、この69歳という年齢は微妙だ。
親父を失くした頃は、思いがけない若死にと悔やんだものだが、実際この年になってみると、あまり命への執着は湧かない。人生としてはその殆どを何とか乗り越えてきた感が強く、むしろ心残りは遺してゆく嫁・子供・孫の心配がほとんどだ。親父も多分、そのころピークに達していた親子で取り組んでいた事業の先行きを危ぶんで気が気でなかったろう。私に対する遺言の代わりに会計処理の手引きを病床で作成して遺してくれた。
思えば駅前バブルを演じていた訳だが、それも親父の信用と実績があっての事。その主柱を失えば、あとはどうなるか目に見えている。その終戦処理に10年かかった。
窮余の策として取り組んだ不動産仲介の最初の成約が平成6年11月のこと。爾来まるまる18年。
62歳での宅建主任の資格取り、散々迷ったあげく山陽立地を平成18年に立ち上げた。
この4月で第一回目の免許更新で、更新申請の書類作成をしながら自然とこの5年を振り返ってみる。
今更ながら、ほんまかいなとおもうほど、身に余る実績を指折り数え、特にお世話になっているN社長に最敬礼。この更新が終わればあと5年。いや何とかあと10年続けて、一週間ほど寝込んで、この世とGOODBYEが今のところの理想目標だ。