山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

靖国神社参拝

靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争日露戦争満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。

以上は靖国神社のHPの神社の由来を写したものです。
近来周辺国といささか物議を醸すテーマの一つとして取り上げられる、首相の靖国参拝だが、これが太平洋戦争のA級戦犯が合祀されているとして、参拝がけしからんとする意見だが、この度初めて参拝して感じたことは古くは戊辰の役以前に遡って、明治維新西南戦争・・・とその戦いの正邪を問わず、敵味方を問わず命を国の礎に捧げた人々を祀った実に純朴な祈りの場であると言う事だった。

明治天皇の御製「我が国の為をつくせる人々の名をむさし野にとむる玉がき」そのものを感じた。

当初は東京招魂社として、明治天皇の思し召しにより当時軍務官副知事であった大村益次郎副知事が旧幕府歩兵屯所跡に立ち上げた。その心情を窺えば、上野の山・寛永寺辺りに立て篭もった彰義隊3000人に対しアームストロング砲をぶっ放したことの悔恨の情あるや無や。