山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

永井玄蕃に会う・十一月十一日

十一月十一日やっと永井玄蕃に会う事が出来た。「今朝永井玄蕃方に参り色々談じ候」薩摩に近い林謙三宛の手紙に書かれている。
ところで、やっと会えた永井玄蕃の下宿の隣に「やす寺(松井寺)」というお寺があり、そこには見廻り組与頭の佐々木只三郎が下宿していた。四日後の龍馬暗殺の実行指揮官と云われている人物だ。
彼は旗本で剣客として知られていた。倒幕勢力の糾合を目論んでいた清川八郎を暗殺したことでも知られている。
龍馬はこんなに危険な幕府方の領域に平気で侵入し、それも日に何度も現れて、遂には永井玄蕃の屋敷に入って行った事を見廻り組の探査網が見逃す訳はありません。
ほぼ隣に住んでいた佐々木只三郎が直接見た可能性も考えられる。
佐々木にすれば、自分の下宿の隣でこんなことを堂々とやられているわけだ。実は、この様な永井玄蕃との直接交渉が、守護職や見廻り組を刺激して龍馬暗殺の決意を引き出したかもわからない。
余談ながら、豊臣秀吉が築いた聚楽第の掘り跡に立つこのお寺にはいまでも幕末当時の階段が残っている。