山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬最後の五日間・その思う事①

暗殺の十五日ほど前、龍馬は前福井藩松平春嶽(慶永)の側近村田巳三郎と三岡八郎(のちの由利公正)に会うために福井に行きます。その理由は①とにかく慶喜に将軍職を辞めさせること。その為に先ず村田巳三郎に面会する。彼こそが春嶽の側近として大政奉還に尽力した人物だ。
この面会の記録が「越前藩幕末維新公用日記」にあり、龍馬はこの時「小松、後藤等、上様の御反正に感じ奉る。」要するに、上様=徳川慶喜が翻って正しい道に戻った。これは慶喜大政奉還に応じて正道に入ったと語っている。その上、「将軍職まで御辞退を願い奉りたく」と春嶽を通じて進言してくれるよう依頼しています。その目的は慶喜を助ける事ではなく将軍職から引きずり下ろすことに他なりません。即ち平和裏の倒幕論展開です。
その目的②はもっと重要事で、慶喜が投げ出した政権を新政府がこれを拾い実のあるものにするための方策でした。このままでは、徳川家が膨大な領地を持っているし、実質的な外交権も持っている。
大政を奉還したとはいえ旧幕府は、これから生まれる新政府に比べ圧倒的な力を維持しています。
そして、最も重要だったのが通貨発行権の問題でした。お金さえあれば、いくらでも海外の武器や先端技術を輸入できるし、外人だって雇えます。
通貨発行権を持ったまま徳川家が存在していることは、今以上に強力になる可能性があります。これを防ぐための手立てを打とうとしたのです。