山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

祖母の葬式は孫のお祭り・そして曾孫ともなれば

かく言う如く、予てより療養中の弘子ちゃんの母が永年の闘病の末、枯れ木が折れるように、もろく逝ってしまった。容体が変わって2-3時間後のこと。親族だれも間に合わなかった。
脳梗塞の後遺症で、メモリーが無くなった状態での12年。やっと楽になったのではが残されたもののせめてもの慰め。
マコトの名前の如く、まことに朗らかな女性で、軽妙な物言いと、独自の語彙を披露して、子・孫に慕われ、どなたにもわけ隔てのない接し方で、戒名・釈 普等 はまさにその字の通り。
我が母とも、踊り仲間で楽しい日々を共にして、姑同士が仲良くお付き合い。3人の悪がきの面倒・お世話になり、改めて蒙った御恩の深さに、感謝をこめて頭を垂れた。
家族葬ながら30余人が集まり、泣き笑いのうちに心を籠めて見送った。 享年89歳。
この夏を越せるかどうかの予感があり、息子たちに変調を告げるべきか迷っている中の急逝。皆が驚いて横浜、浦安、川崎から駆けつけた。
何時も思うことだけど、不思議と葬式にはほとんどの親族が集まれるタイミングで起こる。見渡したところ、次に行くのは私なんだけど。