山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

身近に土佐勤王党子孫・113番戸梶直四郎

先日の神戸高知県人土陽会理事会で久しぶりの歓談を交わす中で、黒川理事の母方曽祖父が土佐勤王党113番隊士・戸梶直四郎と判明。流石土佐人の集まり。こんなに身近に龍馬さんの朋友の末裔がおられたとは。

『戸梶 直四郎 1822〜1905
とかじ なおしろう 文政5年〜明治38年
 
文政5年(文政3年生まれ説あり)3月高岡郡加茂村の深尾家家臣池野弁太郎の三男として直四郎は生まれています。名を泰敬。

池野家の三男に生まれた直四郎はそののち日下村の戸梶彦助の養子となっています。戸梶家に入った直四郎は安政元年民兵となり沿岸の警備の職に就いたそうです。文久元年土佐勤王党が結成されると直四郎は、文久2年に郡方兵事取立役の公文藤蔵から誘いを受けて勤王党に113番目に加盟します。

土佐勤王党に加盟した直四郎は同志を増やす事を考え、同郷の郷士中村左右馬や庄屋の北添佶麿らを勧誘するなど、加盟者を増やす事に貢献しました。しかし直四郎は養子の身であった為、戸梶家に対する責任もある事から自由に勤皇活動をおこなう事が出来ず、中央へ出て活躍する機会はありませんでした。しかしその分同志を増やすなど内面で貢献したのです。

直四郎は明治38年3月10日に84年で没しています。』